「何だって!?嘘だろう!」
「本当だ!海軍の奴らが高らかに吹聴してるってんだから!」

港町が一気に騒然となる。

寄港した立派な船のマストが少し離れたここからでも見えた。
その船から下りてきた噂がこの町を怒声と興奮の坩堝へと叩き落していた。

「確かに言った!俺はこの耳で聞いたぞ!!」

ひとりの立派な体格の男が声を上げる。
途端に人々は彼に群がった。

「本当に彼が捕まったのか!!」

否定してくれと言わんばかりの懇願が混じった声を責める者はこの街にはいない。
彼は海賊だというのに。
どうしてか海軍よりも人気があるようだった。
国よりも義賊が人心を捕らえるこのはどこでも世の常。

男が厳かに頷くと人々から絶望の声が漏れる。

「そんなの嘘に決まってるじゃないか!」

ひとりの少年が叫んで港に駆け出していく。
残された声に一瞬だけ広間は静まった。

そして次の瞬間には怒涛となって駆け出す。
港へ。

その日、『海賊王』拿捕の情報が町を駆け抜けた。

人は誰もが港に駆けつける。
彼を一目見ようと、あるいは真実かを見極めようとするかのように。

港に押し寄せた人々を見下ろして提督は満足そうに組んでいた腕を解いた。
こんなに人の注目を浴びたことはない。

「それもこれもお前のおかげだ、なあ?」

声をかけられた男は無言だった。
項垂れた頭が意識がないことを伺わせる。
両脇を海兵に支えられた無様な男を提督は鼻で笑う。

「不甲斐ないものだ。七つの海に響き渡る海賊の頭がこんなものだとは」

民衆のざわめきはここまで聞こえてくる。
その中に不信がっている声を多く聞きつけて提督は眉根を寄せる。

ケリー。
その名を知らぬ者なき無法者。
海賊の中の海賊。
全ての海は彼の前に道を開け、全ての風は彼に従い、海神の寵児とまで言われた男。
彼の進路を阻む者は悉く蹴散らされ、最速といわれる足に追いつける船はこの世にはないと噂された。

やがて海賊たちは彼に敬意を込めて称号を贈った。
人々が海に出て長い時が経ち、海賊が横行した時代も過ぎ、それでも誰も戴かなかった栄冠。

彼にだけ許されたその二つ名。
海賊王と人は呼ぶ。

誰にも捕らわれることのない自由を示す名。

「噂はただの噂だな。真に残念だ。」

わざとらしく提督は咳払いをしてにやりと笑った。

「民衆どもにその顔を存分に見せてやれ」

顎をしゃくれば彼を支えた海兵が欄干へと彼を引きずっていく。

「どうだ、これがありとあらゆる海賊の末路だ!名高き海賊王と言えど例外ではない!」

その頭を押さえつけて民衆に宣言するのは気分が良かった。
だがそれが一変するのは時を要さず。

声をなくした民衆がざわりと揺れる。
それは提督が期待したものではなく、どこか戸惑ったようなざわめき。

「何だ?」

提督の疑問を消したのは高らかな笑い声だった。
それは提督の手の下から聞こえる。

「お前、気が付いていたのか!?」
「こんな騒ぎじゃ幾らなんでも起きるって」

のんびりとした声だった。
それから心底楽しそうにまた笑い出した。

危機感のない様に苛立つ。

「貴様、今の状況がわかっているのか」
「わかってるさ、間抜けな海軍が人違いをしてるってことがね」
「何!?」

おかしくて笑わずにいられないという男。
提督は思わず部下を見る。
部下たちはそんな訳はないと首を振った。
それに幾分か落ち着きを取り戻して提督は聞く。

「お前の名はケリーだろう。」
「その通り!」

陽気に顔を上げた男は大声で認めた。
若い男だった。
日に焼けた茶色の髪と黒い目が太陽の下で踊る。

「だが!お前たちは一つ思い違いをしているぞ、なあ!?」

語りかけたのは民衆たちにだった。
途端に民衆は歓声を上げる。
そして男と同じように笑った。

「俺の名はケリー。だがお前の言う海賊王は俺じゃない」
「何!?海賊王は何人もいるというのか!」

驚きの声を上げた提督に男はきょとんとした。
それから爆笑。
提督の声が聞こえていた民衆も大声で笑った。

「な、貴様ら何を笑う!」
「おかしなことだ、誰もが知る真実を海を駆けるお前たちが知らないとは」
「何のことだ!」
「海賊王はこの世でただ一人。」

そこだけは存外真剣に男がのたまう。

「悪いが俺は三番目のケリーなんだ」

朗らかに宣言した男は目を光らせて言った。

「海賊王と呼ばれるのは今でも一人目だけさ。」

単身海を越えて、どこからかやってきた男。

「七つの海を越え、神すら従え、自由の名を冠したあの人をお前たち如きが捕らえられるわけがないだろう。お前たちが出来るのは精々ひよっこの俺を偶然引っ掛けるくらいだ。」

肩を竦め、男は可可と笑った。

「まあ自由すぎて、あんな大所帯を作っておいてさっさとトンズラこいたようなしょうもない人だったけどな。」

むしろ大所帯になったから面倒になったのかもしれない。
彼が出奔する数ヶ月前から、その目にはもう大海原以外のものが映っていた。
まだ幼かった男は子供心に彼を留めることは出来ないのだと悟って大人しく彼の出奔の手伝いをしたものだ。

信頼していた航海士に船を任せ揚々と去っていったその後姿を忘れない。
二代目頭となった彼がケリーを名乗るのは当然だと思った。

「俺の名はケリー・シルヴァン」

そして三代目となった自分も当然のようにその名を名乗った。

「海賊王には遠く及ばないひよっこだが、俺にもその名に誇りがある。」

シルヴァンは笑った。
不敵に、憎たらしく、飛び切りの笑顔を披露する。

二代目がシルヴァンに頭の座を譲った馬鹿たらしい理由は笑った顔が彼に似ているからだと聞かされた。
その顔を存分に発揮して彼らを挑発しているうちに見張り番が叫ぶ。

「提督!船が!船が現れました!」
「馬鹿もんが!現れたとはどういうことだ。どこにいて、どれくらいの速さで近づいているのか、報告は正確にしろ!!それくらい仕官候補生の時に習わなかったのか!?」
「そんな…ほかに言いようがありません!現れたんです!突然!今どこにいるかって!?そんなの自分で見ればいいじゃないですか、目の前にいるんだから!!」
「何を馬鹿な!」

目を向ければ目と鼻の先にそれはいた。
細いフォルムと堂々とした佇まい。
水を切る音はあまりにも静かで、ここまで接近していてもわずかにしか聞こえない。

「そんな…」

夢を見ているかのようだ。
旗は黒一色。
三本マストと張られた帆は同じように黒い。

舳先には双子の女神。

真紅の髪は褪色することなく今も尚船の針路を照らす。
黄金の目を持つと言われるその両目は無表情に閉じられたまま。
曰くつきの噂は幾らでもあった。
その目が開くのを見た者は死を約束された者だとか、彼女の叫び声は嵐を呼ぶだとか。

真紅の女神とは違い穏やかな顔を見せる美しい金色の髪の女神。
彼女の目は薄っすらと開いている。
青い瞳は自愛に満ち、だがこの船に災いを呼ぶ者全てに死の恩寵をもたらすと言われ、その歌声は凪を呼ぶと噂される。

そんな船は世界中捜したって一隻しかない。

「グランフィノース!」
「俺の船だ」

シルヴァンが言いながら、するりと拘束を解いた。
そのまま海兵の剣を攫い、立つ。

「貴様、ただで済むと思うなよ」

ぎりっと歯を食いしばる音をさせて提督が同じく剣を抜く。
仲間が近くに来ていようが、ここには彼一人。

シルヴァンは剣で肩を叩く。
ここまできてもすかした男だった。

「生きて捕らえよという命令だったからわざわざ生かしていたのだ。だがこうなっては上も文句は言えないだろう」

かかれ!と続くはずだった提督の命令を遮ったのは風にしては強く、声にしては頭の中に響く、叫び。
泣き声にしては哀切の欠片もなく、悲鳴にしては切迫感がないその音。
だが頭の中を揺さ振られているような感覚に陥る。

「おっと、女神様から帰還命令だ。怒らせないうちに帰らせてもらう」

のうのうとシルヴァンだけが平気な顔で立っていた。
思わず耳を押さえた海軍はシルヴァンをよそにその出所に目を向ける。

真紅の女神が口を開いていた。

「嘘だ…ただの噂だろう?」

呆然とした彼らの間をシルヴァンは走り抜けた。

そのまま船尾から海へと飛び込む。
船はもう目の前にいた。
仲間を巻き込むつもりかと目を見張ったが船はまるで意志を持っているかのように旋回する。

「お迎えご苦労、諸君!」
「いいから早く上がれよ、シルバ!」

シルヴァンは垂らされた縄を手繰りあっという間に船上の人となった。
そして向こう側から手を振る。

「じゃあな。追ってくるとそっちが危ないことになるから来ないほうがいいぜー」

そのままあっという間に急旋回。
海兵たちは目を見張る。
その機動力は常識から外れていた。

「追え!追うんだ!今すぐ出発だ!!」

提督の怒鳴り声が彼らを我に返す。
民衆の歓声に追い出されるように彼らは海に漕ぎ出した。

「おいシルバ、奴ら追ってくるぜ」
「構わないだろ、一応忠告もしたし。」

シルヴァンは後ろを振り向かなかった。
進路だけを眺めてにやりと笑う。
風が強く吹くのを感じて、航海に心を躍らせた。

もう彼の目には大海原しか映っていない。
仕方がないと長の年の付き合いとなった参謀殿がため息をついた。

「まったく、こんなところはケリーにそっくりときた」

彼ら追跡者の面倒を見るのは自分の役目らしい。

「この船が何て呼ばれているのか、知らないのかねえ」

世界最速。

「しかも今回の船出は女神様の祝福付きだ。」

遠くで雷が鳴っているのが聞こえた。
仲間たちは早々に時化の準備に余念がない。

真紅の女神の叫びは嵐を呼ぶ。
その嵐を往けるのは穏やかな海の象徴である黄金の女神の加護を受けた船だけだというのに。

「海賊王の船とはよく言ったものだよ」

ケリーがこの船を離れるまで女神たちが目覚めたことなどなかった。
彼はいつだってその目で、その手で、その心で、海を自由に駆け周り、怒れる神をねじ伏せてきた。
不思議が付き物のこの船には何一つ不思議なことなど起こる余地がなかったのだ。

彼の不在を嘆く海神が、グランフィノースの女神たちに息を吹き込んだのかもしれないと半ば本気で仲間たちは信じている。

その正式な主は一体どこにいることか。

「相変わらず誰かをたらしてるんだろうな」

彼と海に魅了された自分たちのように。
ばりばりと頭を掻いて、近づいてきた雨音に肩を竦める。

こうして航海を続けていればまた会うこともあるだろう。
その時は女神の宥め方を教えてもらおうと、彼は思った。









アンケート一位・ケリー。その御礼をしたかったはずが!?
ただの番外ということで、うん。遊びすぎました、はい。楽しかったです、えへ。