ペンタスには王がいる。

歓楽都市の女達は睦言に囁く。

「あなたは我らが王の次に素晴らしい方です。」

と。
『素晴らしい』の部分はいかようにも形を変える。
その造詣の深さを讃え、武勲を誉めそやかし、時に技量を褒め称えた。
だが言葉は違えど、示すのは一つ。

あなたは二番目。

だが男達はその言葉を喜んで受け取る。
それは遊女達の最高の賛辞だからだ。
夜のペンタスに、それ以上の誉め言葉は存在しない。
それを知っているが故に、男達はむしろその言葉を贈られる事を願う。

他国で言われようものなら他人には決して聞かせられない恥辱も、ペンタスでは自慢にすらなる。
いや、ペンタス以外で娼婦達がそれを客に口にしようものならその場で斬って捨てられかねない。
それでも女達は言うのだ。

ペンタスは大陸随一の文化と芸術を誇る。
衣装、装飾品、調度品、演劇や音楽、それだけでなく建築や食事、人材までもが最高級。
人々を楽しませ、もてなすために一切の不足はない。
貧乏人と乱人以外は受け入れると豪語しているペンタスの、それが収入源だった。

上品な街は夜になればがらりと雰囲気を変える。
誰もが知る、これまた大陸随一の歓楽都市へと。

そしてそれこそがペンタスの本当の姿。
夜とは思えないほどの灯りが街を照らし、女達のさざめく声と、遊興客の足音が絶え間なく響く。
もっとも、遊廓にも地区がある。
娼館が所狭しと立ち並ぶこのあたりは誰もが足を踏み入れられる花街。
金さえ積めば一夜の夢をいくらでも提供してくれる。

一方、金を払っただけでは会うことも出来ない女達もいる。
格の高い女達だ。
彼女達は遊女でありながら、そこいらの貴族達よりも多くの権限を持っていた。
客を選ぶ権利だ。

一国の王であろうとも彼女達の目に適わなければ簡単に袖にされる。
そして振られた者は無礼だと叫ぶことも出来ないのだ。

しかし、金で買われる女も客を選ぶ遊女も、位の高さなど関係なく、睦言に混ぜて男達の耳にその言葉を注ぎ込む。

我らが王に敵うものなし、と。

ペンタスの王はその話を噂で耳にして顔を緩める。
先日もどこぞの貴族と会った折に言われた。
気に入りの遊女にそう囁かれ、その時はいい気分だったのだが、本人を目の前にすると何とも複雑な気分になると。
その男は笑いながらペンタス王のご威光は遊女達の隅々まで行き渡っているようだと続けた。

威光かどうかは知らない。
そこまで自惚れてはいないつもりだが、彼女達が自分達を保護してくれる王に義理立てしているのだろう、と位は思う。
そして大華三国の王にすら愛される彼女達が自分を立てる言葉は中々に心地よく、それを訪れた他国の者たちから語られるのは尚更自尊心をくすぐった。

しかし王が得意になるのを見ながら彼らは心の中で嘲る。
それを聞いていた者たちも意地悪く笑いを堪える。

「何が『本人を目の前にすると』だ。思ってもいないことをよく言う。これ以上あの王を勘違いさせていいのかね」
「本人がいい気分になっているのを水を差すこともあるまいよ。せいぜい持ち上げておけばよろしい」

一度ではわからないだろう。
遊女達にそう囁かれて、最初は誰もが苦笑する。

「そうまでしてあの王に義理立てする必要もあるまい」

自分の国の王だからと言って、ここはある意味では国という権力から解放された場所なのだから飾りの言葉は要らない、その真実の言葉を聞かせてくれと男がせがむ。
あるいはこんな場所にも義理立てしなければならないような事情、例えば他人の聞き耳があるのかと焦って辺りを見回す。

そうすると女は悪戯っぽく、だが何とも魅力的に笑うのだ。
そしてその言葉を繰り返す。

花街に通っているとやがて気付く。
その言葉は決してこの国の王に向けて言っているのではないと。

いつでも、陶然としながらでも、快楽に溺れながらでも、穏やかに寝物語を楽しんでいる時でも、芸を披露している時でも、彼女達がその言葉を口にする時、その目には深い敬愛と、憧憬と厚い信望が湛えられていた。

時々、遠まわしに聞くと彼女達はぽつりぽつりと話してくれることがある。
多くを語ることなく、彼女達は自分の秘密だとでも言うように一言二言で口を閉ざす。
笑いながら、あるいは切なさをこめて、時には哀しみと悲痛さを込めて。
結局は愛おしそうに、過去と自分の心と対話をするように、話を終わらせてしまう。

親しくなった女が自分以外の人間に思いを馳せる切なさに男達はしばし無言になる。
特に隣には自分がいるという状況で、女達がそうすることは繊細な心を自称する男達にとっては苦痛を感じ得ない。
だが、彼女達は自分がそんな質問をしなければこんな態度を取らなかったことを十分に承知しているだけに責められもしない。
聞いた自分が馬鹿だったのである。

そうしてこんな微妙な気分になるのを避け、彼女達の王の話に水を向けることはなくなり、男達はその言葉を素直に最大の賛辞と受け止めるようになるのが常。
故に、王の正体はいまだに謎のまま。

しかし最近はその人物像を探ろうとする動きがある。
といっても、戯れと暇つぶしのお遊び程度の話。

彼女達が漏らす言葉の断片を寄り集め、それを元に推論し合い歓談するのだ。
同じ話題があれば盛り上がるのは万国共通。
そしてこのペンタスでの共通の話題はこれだった。

知らぬ者同士でも、二人が茶を飲みながらその話題に触れれば、近くを通った紳士が加わり、自分の持つ情報を言い触らしたい若者が混じり、好奇心で新たな情報がないかと覗く貴族がいる。
そうしてご夫人達が興奮しながら煌びやかな昼の街に夢中になっている間、男達は四阿や広間の一角で、茶を飲みながら優雅に、時に唾を飛ばしながら激論をぶつけ合っていた。

しかしほとんどがその正体に近づくことはなく、支離滅裂な情報に首を傾げるばかりだった。

確定していることも幾つかある。

「あの天明館の最上階に住むことを許された人物らしい」

天明館。
娼館としては最高の建物。
上階は上客の宿としても提供され、高級旅館としても超一級品。
ここが娼館でなければ一国の王でさえ滞在を勧められるほどのものだ。

その最上階。
そこはまさしくこの世の贅を尽くした部屋だという。

「私なんかには想像もつかんね」
「一生に一度でいいから拝んでみたいぜ」
「王宮より豪華だって噂じゃないか」

貴族程度では泊まれない。
格の高い女達と同じで、その部屋は客を選ぶ。
金を積めばいいというものでもない。
小国では王ですら滞在を拒否される。
むしろ国を傾けかねない金がかかる。

故に、かつては年に幾度か耳にしていた天明館の最上階に部屋を取る人も、滞在は長くても精々3日程度だった。
現在はその部屋に泊まることは誰にもできない。

幾年か前から、泊まりたいと申し出る者は一応にこういわれるようになった。

「あのお部屋には既にお客様がおります」
「ではいつになったら泊まれる」
「いつまでお待ちになっても無駄でございます。」

ぴしゃりとはねつけられる。
尚も食い下がった客が一人いたが、言われた台詞は花街を訪れる男達の推測の的になった。

「天明館最上階は未来永劫お一方の為に存在するものです」

それを聞いて誰かが、ひらめいた。

「天明館が解放されなくなったのと、女達があの台詞を言うようになったのと、ほとんど同時だな」

そうして彼女達の王は天明館最上階の主であると彼らは信じた。
一番初めに出回った噂であり、現在では語られずとも誰もが知っている逸話である。

「だがほとんどそこには泊まっていなかったらしい」

次の情報はそれだった。

「贅がお好きでない方でしたの」
「たまに文句すら言ってましたわ」

女達の言葉でそれが知れた。

「随分な変わり者らしいな」

典雅な生活を好まず、安宿で過ごし、庶民の味に舌鼓を打ったらしい。

一風変わった遊女がいる。
格としては高い方で、宮廷料理人顔負けの料理を振舞うことで知られる女だ。
娼婦が手ずから料理をすることなどないに等しい花街。
一般とは違う歓楽街で料理でもてなす事など誰も考えなかったのだ。
そのもてなし上、一晩一人という制限がつくことも手伝って、今ではその料理にありつくために随分前から予約を入れて待たされる人気ぶりだ。

何故彼女がそんな風に料理などするようになったか、と尋ねれば答えはさらりと返ってくる。

「わたくしの料理を、喜んでくださる方がいたからです。」

それはそれは嬉しそうに語る。
恋人だったのかと聞けば首を横に振る。

彼女に誰かが戯れに聞いた。
王とはどんな人だったかと。
彼女は花の様に美しく笑った。

「わたくしの初めてのお料理を食べてくださいましたわ」

洗練された演劇も舞踏もあまり好まなかったようだ。

舞姫と呼ばれる女がいる。
このペンタスでその名は最高位の遊女を指した。

彼女が舞姫の称号を得たのはここ数年。
それまでは侮蔑すらされていた南国の踊りを嗜む女だった。

優雅よりは苛烈、洗練よりは情熱、ゆうらりと美しく舞うのではなく、激しく炎のように踊る女。
その肌は薄い褐色、瞳は鳶色、髪はその心のままに赤い色をしていた。

薄絹を纏いむき出しにされた腕や腹を見て蔑む目は今はない。
彼女が紡ぎ出す異国情緒に酔いしれるばかり。

どうやって学んだのかと問われれば、彼女は答える。

「心のままに躍ったまでです。」

誰かが、戯れに聞いた。
王とはどんな人物だったかと。

「わたしの踊りを、幾晩でも眺めてくださっていたわ」

随分な役得だと言えば舞姫はうっすらと真夏の月のように笑ってみせた。

王は音楽も歌劇も退屈だと言い捨てたらしい。

「贅沢者だな、それとも芸術の素晴らしさもわからない田舎者か?」
「おい、女達の前では言うなよ」

王を貶める言葉を、彼女達は決して許さなかった。

かつて、ペンタスの王が宴を開いた。
贅の限りを尽くし、その権限を持ってペンタスが世界に誇る女達を集めた。

最高位の遊女の双璧、舞姫と歌姫が揃うことは珍しい。
皆がこぞって彼女達を褒め称えた。

舞姫の軽やかで情熱的な舞踊に目を奪われ、歌姫の可憐な透き通る歌声に陶酔する。
歌姫の声が途切れたのは無粋な音に遮られたからだ。

がしゃんと陶器の器が割れる音がして、続いたのは酷い侮辱だった。

「俺を眠らせる気か、そんな鳥みたいな声で鳴かれても歌には聞こえんな。俺が歌った方がよほどましというものだぞ」

酔っているのが一目でわかるその男は小国の大貴族。
ペンタスの遊女を娼婦と侮ったか、と誰もが非難の目を向けた。

ペンタスの最高位の遊女ともなれば他国の貴族如きに何ぞ文句をつけられるいわれなどないのだ。
後々蔑まれるのは自分だということにも気付かず、彼はまだ管を巻いていた。

目を見開いた後、飛び出そうとしたのは舞姫。
赤毛を逆立て怒る様を見れば、その男の今後の社交界での未来は絶たれたも同然だと知れる。
それくらいの強い影響力を持つ。

舞姫が飛び出そうとするのを制したのはペンタス王だった。
せっかく自らが開いた宴を台無しにするわけにはいかないと考え、穏便に遠回しに嗜めるつもりなのだ。
抗議は後から存分にすればいいと舞姫を目で宥めて、彼女が忌々しそうに身を翻して袖に消えていくのをほっと見送った。

侮辱されたのが彼女自身であったなら今頃えらい事になっていたかもしれない。
踊り同様に苛烈な彼女の性格では絶対に引き下がるわけがない。

むしろ大人しい歌姫の方でよかったと胸を撫で下ろした。
舞姫が代替わりした直ぐ後に、最年少で歌姫の座に着いた彼女は至極聞き分けのよい娘だった。
彼女ならどんな侮辱にも蔑みにも怒ることはないと、ペンタス王も臣下も安心していたのだ。

しかしペンタス王が口を開く前に彼女が声を出した。

「私の歌にご不満がおありのようですが」
「ああ、大有りだね」

歌姫が自ら誰かに声をかけるところなど初めて見た面々は驚いた。

「困りましたわ、この場にはあれが相応しいと思っておりましたのに」

白磁の頬に手を当てて、赤い唇が小さくため息をついた。
そして思いついたようにぱっと顔を上げる。

提案したのはその男が歌うこと。
是非とも披露してくれというのだ。

私より上手いならやって御覧なさい、という皮肉には聞こえないところがこの歌姫の歌姫たる所以だ。
人畜無害、触れたら折れそうな風情が舞姫とは対照的だった。

酔った男は引き受けた。
それなりに自信も心得もあるのだろう。

「力強さこそ歌よ!」

そうして朗々と歌い上げたのは戦歌。
場違いだが、確かに巧みだった。

しかし気持ちよく歌っていられたのは最初のうちだけだった。
気付いた時、男の歌声はぞろりと鎌首を擡げた蛇に飲み込まれようとしていたところだったのだ。

必死に声を張り、逃げようとしてもそれはぴったりと後をついて来る。
しかも弄ぶように噛み付き、突き、時には一体となって調和すらしてみせる。

焦って彼女を見れば嫣然と微笑みながら歌を紡ぐ女がいた。

先ほどまでの鳥かごの中の小鳥の様な姿は一変して、白銀の髪に月の灯りを乗せ、そして覗き込んだ青灰の瞳には憎悪が湛えられていた。

大の男が力の限り叫ぶように歌うよりも、彼女の声は響く。
男の声などまるで聞こえず、傍から見れば男が真っ赤な顔で口ぱくをしているような滑稽な図。
しかも男のがなり声とは違い、彼女の声はそれでも尚美しく、だが力強く聞こえた。
彼女が歌っていたのは戦歌。
男が歌ったのとまるで同じ。
男の故郷の歌を、まるで昔から歌いなれているとでも言うように歌い上げてみせた彼女に客は皆盛大な拍手を送った。

まさしくペンタスの歌姫だと褒め称える中、彼女は悠然と男に言った。

「歌い方など、心一つ。」

そして歌姫はペンタス王に謝罪した。
この場に相応しくはない歌を披露したと。

自国の民が他国の思い上がりを打ち負かしたことで上機嫌なペンタス王は許した。
そして不思議に思って聞いた。

「日頃大人しいお前らしくないな」
「わたくしの歌を侮辱することは我が王を侮辱したことに等しいと存じます」

歌姫は思い出す。

『へえ、綺麗な声じゃないか』

そう言ってくれた人のことを。

「それで怒ったのか。愛いやつじゃ」

ペンタス王に歌姫は一礼した。

結局、ペンタスの姫君たちの王は謎に包まれている。
天明館の最上階に居を構え、だが贅沢は好まず民人のような生活を好んだこと、そして夜のペンタスの人心を一身に集めていること。
そして今も尚、彼女たちの心には所在不明のかの王がいること。

わかるのはそれくらいのことだ。







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何があったのやら。続きはどうしようか悩み中。だってまた本人出て来ない(汗)