「ディア!早くして頂戴、お腹が減って死にそうよ!!」
「もう、もうちょっとお行儀よく待てないのかしら?ご馳走する甲斐のない客だわ!」
「ラーダもディアも、それくらいにして」
「あら、リンゼも着いてたのね。じゃあ運ぶの手伝ってもらえる?」
夜では見せない顔で、舞姫と歌姫と料理を作る彼女が賑やかしく会話を交わす。
この花街でも中々お目にかかれない料理が所狭しと並べられたテーブルで輝かんばかりに美しい女三人、乾杯の合図で食事を始める。
普段なら上品に使うナイフとフォークを適当に持ち、ペンタス一の遊女、舞姫ラーダが行儀悪く食事に齧り付く。
昔注意したこともあるのだが、ラーダにあっけらかんと言われた。
「どうせあたしは生まれが悪いからね、いくら上品な皮を被ったってそれが本当の自分になるわけじゃないし。努力はするけど、友達の前でくらい気を抜いたっていいじゃない」
そう言われれば友人といわれた嬉しさも相まって文句など言えるわけもない。
「リンゼ、あんたまたお忍びに出かけたわね」
リンゼと呼ばれた歌姫は綺麗に纏め上げられた白銀の髪を撫でて肩を竦めた。
彼女の趣味は少年の姿でペンタスの街に出かけていくことだ。
見つかればどうなるかわからないと注意したこともあるのだが、リンゼは笑って取り合わなかった。
「いやあね、没落したとはいえ生まれは商業都市の商家よ。街を駆け回るのなんてお手のものよ」
外見からは想像もできないおてんば娘に年上二人は苦笑するしかない。
「で、何か収穫はあったの?」
「別に。ああ、でも噂話に混じってきたわ」
「はあ?何言ってんのあんた。昼の人間と接触したの!?ディア、何とか言ってやってよ、この馬鹿娘に」
「ちゃんとばれないようにしたわね?」
「ばっちり!」
「そうじゃないでしょう、ディア!?」
ぽんぽんと飛び交う会話を、実のところ楽しんでいる三人。
一昔前、花街の女達は立場やギルドや、地区の違いで対抗心を燃やしあっていた。
友人など作りようもなかったし、同年代は皆ライバルだった。
こんな風に一緒に誰かの手料理を囲むなんてことは考えられないことだったのだ。
だがきっと今は他の場所でも同じように料理を楽しみ会話を楽しんでいる女達がたくさんいるはずだ。
「で、どんな話をしてきたの?よっぽど興味の引かれる内容だったのでしょう?」
「ふふ、楽しかった。笑いを堪えるのに必死よ」
なになにと怒っていたラーダも身を乗り出して聞いてくる。
「何と!ケリーの話をしてたのよ」
「あら、そういえば誰かが最近はわたくしたちの王様の正体を明かすのが流行っているって言ってたわね」
「そんなのが流行になるの?随分と暇ねー」
言いながら葡萄酒を傾ける。
赤い液体を覗き込みながら少しだけ思い出に浸った。
貴族の娘として育ち、娼館に売られた時ですら絶望しなかったディアは自分が何も出来ないことに気付いて絶望した。
年下の女の子達が衣装を自分で縫い、髪を結い上げ、水を汲んでくる。
ディアにはそれすらできなかった。
助けてくれたのは彼だった。
いや、彼は多分何の意図もなく、ただそこにいただけ。
ディアがどうしても彼に何かをしてあげたかったのだ。
そうして初めて、何かをしようと思った。
何でもよかったのだけど、ディアは菓子を焼いた。
それは見る影もなく炭の塊のようになったが、彼は食べてくれた。
おいしかったわけがなく、彼もおいしいとは言わなかったけど、嬉しそうに笑ってくれたのだ。
ディアは何故か声を上げて泣いてしまったことを覚えている。
そして気付いた。
自分には何もないけど、できる様にはなるのだと。
何も出来ず、何の役にも立たないのなら、できる努力をして、役に立つように頑張ろうと、初めて思えた。
学ぶことも、技術や知識を身につけることも、ディアはそこからはじめた。
『わたしの踊りを、幾晩でも眺めてくだっていたわ』
ラーダはそう言って、返ってきた答えに苦笑させられたものだ。
随分な役得だと、男はそういったのだ。
そんなわけがない。
まだ踊りの何たるかを知らず、自分の道すら見つけられずに、ただがむしゃらに踊っていた頃のこと。
めちゃくちゃだったはず。
美しくも、優雅でもない、その踊り。
生まれは遠い南の国。
どこだかは知らない。
気付いたらこの花街にいた。
しゃなりしゃなりと踊るそれを必死に真似て、完璧になぞることが美しさだと教えられた。
だけどラーダは時々そんな伝統を無視して心のままに手足を動かしてみたくなった。
しかし不規則な動きをすればすぐに制裁をあびせられる。
宴の手伝いで高級娼館に出向いた時のこと。
広間では音楽。
ラーダは堪らなくなって庭の影で踊った。
好きに飛んで、跳ねた。
見物客は一人いた。
ラーダは満足して地に足をつけるまで気付かなかったけど、木の上で見ていた彼は誰に告げ口することもなく、それから時々彼女の時間を買ってくれるようになった。
彼はいつも踊りを所望した。
一晩中一心不乱に踊り続けるラーダを、何も言わず見ていてくれた。
綺麗な声だと言ってくれた。
誇りなんてものはペンタスに来た時に捨てさせられ、自尊心なんてものは娼館での生活の中で失った。
ぼろきれか、路傍の石のような扱いに自分が人間だということすら忘れていった。
彼がくれたのはリンゼが人間に戻るための魔法の言葉。
死にかけの猫のように足元しか見ていなかったリンゼは、くたびれた姿を磨き、声を頼りに歌姫の座を勝ち取った。
誇りと言われたら彼の言葉。
何がリンゼをリンゼ足らしめるのかと言われればやはりそれは彼の言葉。
見栄えがいいから着飾って、受けがいいから微笑む。
守るべきはこの誇り。
彼が好きだといってくれたこの歌声。
容姿も教養も、品格や所作、何に文句をつけられてもリンゼは謝って困ったように笑いながら受け流した。
許せないのは歌声を馬鹿にする行為だけ。
「来月はパイを焼こうかしら、中身は何がいい?」
ディアが言った。
リンゼは顔を上げて謝る。
「残念だけど、そのころペンタスにはいないのよ」
「へえ、どこかの祝宴か披露宴にでも行くの?」
「ええ、スケニア王の戴冠記念式典に。」
「ああ、あれね。リンゼが行くことになったんだ」
リンゼは頷いて微笑む。
正式な場だろうと、ペンタスの遊女が出入りを禁じられることはない。
むしろ連れて歩く男に箔がつく。
だから他国で大きな催し物があるのならペンタスの威光を見せ付けるために彼女達は引き合いに出される。
かつての歌姫はデルフィニアの式典に出席し、あの伝説の妃殿下とも顔を合わせたと聞く。
リンゼは先代の歌姫にあなたもあと十年早く生まれていればあの栄光の場に居合わせることができたかもしれないのに残念ね、とあてこすられたことがある。
その一切の言葉を聞こえなかった振りで通り過ぎて、後ろで女がヒステリックに叫ぶのを聞きながらリンゼは不思議で仕方がなかった。
十年も早く生まれていたらケリーに会えなかったかもしれない。
それを考えると残念などという言葉は欠片も浮かんで来ない。
リンゼは歌姫らしくない少女のような顔で秘密を打ち明けるように言った。
「知ってる?スケニアには歌姫様がおられるそうよ」
「あらまあ」
「で、ペンタスの歌姫は対抗心を燃やして、ペンタス王に泣きついたわけ?」
「そういうこと。」
自分を連れて行ってくはくれないかと丁重に頼んだら二つ返事をくれたとリンゼは至極上機嫌に答えた。
「ほどほどにね」
「そうよ、先日サンセベリアの歌姫を打ちのめしたばかりじゃない。可愛そうに、いまだに歌えないのですってよ」
「あら、いやだ。だってあの子、おこがましくも私の前で歌姫を名乗ったのよ?」
にこやかに言うリンゼが実のところ一番好戦的だと知っている者がどれだけいるだろうか。
「自分の分を弁えて、私の前では大人しくしていればよかったものを」
当然の結果だとリンゼは無邪気に言い放った。
「ああ恐。本当にあんたを敵に回さなくてよかったわ。ケリーに感謝」
女の諍いの場だったこの町を変えたのも彼。
そのことにラーダは礼を言った。
「別にラーダやディアに噛み付こうだなんて思わないわよ。だって、あなた達は自分こそ歌姫!何て言ったりしないじゃない」
「当然でしょうが。誇りの在処が違うわよ」
その通りだとリンゼが頷く。
「本当によかったわ、二人が歌芸に秀でていたりしなくて。でなければ私は二人の友達を失わなきゃならないところだったんですもの」
「…本当に、リンゼは一貫してる。尊敬すらするわ」
リンゼはやはり穏やかにすら見える笑顔を向けた。
「私の歌声は世界一でなければならないの。だって、あの人が褒めてくれたのよ?彼がそう言ったからにはそれが一番であるべきでしょう?だから私は私の歌が一番だと証明しなくちゃ」
「その理屈で言うとあたしは世界で一番の舞姫でなければならないし、ディアは世界一の料理人にならなきゃならないわね」
「そういうことよ?」
リンゼが何を今更と小首を傾げれば二人は苦笑した。
ラーダは一生踊っていられたらそれでよかったし、ディアは自分の料理で喜んでくれる顔を見ることが幸せだった。
「真っ直ぐなんだか歪んでるんだかよくわからないわね」
ラーダが呟き、ディアが声に出さずに笑う。
「向上心が高くて結構なことだわ。リンゼ、スケニアの歌姫の称号を奪ってきたら祝宴を開きましょうか」
「やった!全部ディアの手作りならもっと頑張れるわ」
「引き受けましょう」
「あ〜あ〜、焚きつけてどうするのよ」
そんな約束を交わして、ふとリンゼが無邪気でもなく、攻撃的でもない顔で、物思いに耽るようなそぶりで聞いた。
「スケニアくらいの大国の歌姫を負かせば、きっと私の名前も噂になるわよね。ケリーには届くかしら?」
今度こそ、ケリーは自分の名を耳にしてくれるだろうか。
二人はきっとそれがリンゼの実のところの願いなのだろうと思った。
輝かしい活躍ではなく、伝えたいのは今も歌っているという事実。
「どうかしら、でもきっと聞いたら喜ぶわ」
「そうね、きっと笑ってくれるでしょうね」
多分、間違いないだろう。
リンゼは嬉しそうに顔を上げた。
「あたしも明日はお城で踊り子。一生懸命踊りましょう」
「ふふ、わたくしも久しぶりに新しいお料理に挑戦しましょうか」
そうすることで、きっとあの人は笑うから。
自由を謳歌する彼にこの場所に帰ってきてくれとは言わない。
あのリンゼでさえ言ったことがない。
長くはない滞在。
あっという間に海に飛び出していった楽しそうな後姿。
留めるのは本意ではない。
だからリンゼはその名を轟かす。
だからラーダとティアは望みに忠実に生きる。
気まぐれで、自由で、だが優しいかの王の御心のままに。
ペンタスの王は自尊心が高く扱いやすい。
しかし馬鹿ではない。
馬鹿ではないから一度交わした約束が効力を持つのだ。
確かに了承の言葉を貰った。
睦言だろうと、それは約束には違いない。
ペンタス王はその約束を違えることはしないだろう。
リンゼはスケニアへの同行を取り付けたことに満足して息を吐いた。
月の下、豪奢な天幕の中、隣には疲れて眠るペンタスの王がいた。
汗が引いて、額に張り付いた髪に王が眉根を寄せたようだった。
リンゼは乱れたその髪を優しく梳いてやる。
美しい手で敷布を引き上げ、王の肩にかけた。
健やかに寝息を立てる様が愛おしい。
もしも自分が暗殺でも企んでいたならどうするのだろうと思って小さく口に笑みを刷く。
やがてリンゼはそれはそれは美しく微笑んで、眠るその耳に睦言を囁いた。
「あなたは我が王の次に愛しい方です」
ペンタスには姿なき王がいる。
夜の街に密かに流れる噂。
その名を呼ぶかわりに女達は囁く。
「あなたは我らが王の次に素晴らしい方です」
そうしてかの王に密かに伝える。
この街はあなたを裏切らない。
あなたを敵に回すことは決してない。
あなたの為に、滅ぶことも厭わない。
絶対の忠誠を睦言に混ぜて、夜のペンタスは今日も囁く。
40万hit期間限定拍手御礼小噺でした。
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