「ケリー!ケリーじゃないか!」
親しげに、男が話しかけて来たのは街の安宿。
その一階部分は泊り客でなくとも、解放された飯処である。
久しぶりに辿り着いた大きな街。
自炊ではない食事も久しぶりだった。
宿も何軒か当たってみたが、この時期客の出入りが多いのか、生憎と泊まる場所までは確保できていない。
三軒目のこの宿も満室だと言われ、いい加減一息つこうと流れで食事にありついたところだったのだ。
アスターが目線だけで知り合いかと聞いてくる。
知り合いというほど親しくもないが、その顔には見覚えがあった。
「まさかこんなところをうろついてるとは。ご一緒してもいいかな?」
男は大袈裟に偶然の出会いを表現して、同じ席に着く。
ケリーもアスターもどうぞとは言わなかったが、男は勝手に自分の分の注文も流れの中で済ませてしまう。
人種として、完全なる商人だとアスターは判断した。
商人は人の懐に入ってくるのが上手い。
「久しぶりだな」
人好きのする顔でケリーを見る男のその言葉は多分真実。
若い、だが胡散臭さが拭えない青年。
アスターは商人だと判断した途端に探るような目線になる。
仕方がない。
商人とは口がよく回る上に、嘘も平気で吐く連中も多く、裏を読まねばこちらが馬鹿を見る。
だから商人とはあまり付き合いたくないのだ。
ほんの少しの会話で疲れるから。
一体なんだって、そんな人種とケリーが知り合いなのだろうとアスターはそっとケリーを盗み見た。
しかしケリーはいつもと変わらず、その表情は商人以上に真意が知れなかった。
「今までどこにいたんだ?」
商人にしては質素な服を纏っているところから、傍目には街の青年に見える。
多分商売中ではなく、本当に街をぶらついていたのだろう。
で、昔の知り合いを見つけて声をかけたってトコか。
ケリーは男の言葉を無視したりしなかった。
すらすらと地名がケリーの口から流れ出て、旅の経緯を教える。
「で、今ここに至るって訳だ」
にっこりと笑ったケリーの笑顔はやはり威力がある。
男が思わず、誤魔化し笑いをしてしまうくらいには眩しい。
が、アスターはそれを見ながら、ケリーを心の中で評する。
狸め。
今までの道程と言われれば、その途中からはアスターも同行しているわけだが、ケリーの話す道順に覚えはない。
つまり、ケリーは表情一つ変えずに、あっさりと嘘を吐いている。
はっきり言ってこれは見抜けない。
アスターは表情には出さずに器用すぎる少年に呆れる。
お前に出来ないことってあるの?
今度絶対に聞いてみようと思う。
男が質問し、ケリーが答える。
その構図が変わることなく時間が過ぎる。
しかしケリーの答えは最初から最後まででたらめで、これでは何の情報にもなっていない。
そこまで考えて、アスターはやっと男とケリーの意図に気付く。
男は何らかの情報をケリーから引き出そうとしていて、ケリーはそれを教えたくないということ。
「で、これからどこに行くんだ?」
気安く、何でもない質問のように、男は聞いた。
何だかんだ言いながらも、男の会話に付き合っていたケリーがすっと目を細めた。
アスターは少々反応が遅れる。
ぎくりと身を引いた男に気付いてからその原因に目を向けることになった。
「ラング」
ラング。
それが男の名前らしかった。
しかし男は名前を呼ばれたことにも動揺したようだった。
もしかしたらラングは深い知り合いではないことを承知でケリーに話しかけていたのかもしれない。
憶えのない人間に親しく声をかけられれば、自分が忘れたのかもしれないと気まずく思いながら相手に話を合わせるのが心理というもの。
「それはあからさま過ぎやしないか?」
そう言ったのはケリー。
口元には薄い笑み。
ゆっくりと椅子にもたれ掛かり、目線はまるで見下ろすように。
…誰?
アスターは引き攣る。
出来ればケリーの頭をつかんで戻って来い!と揺さ振りたい気分になった。
しかしそんなことをしてはいけない雰囲気が隣のケリーからは色濃く漂ってくる。
存在感がいきなり広がったようなケリーの雰囲気は長く傭兵として生き、多くの人々を見てきたアスターにも覚えがある。
老獪。
そう言われる人物に会ってきた。
だが今のケリーはその誰よりもそれに相応しい。
いやいや、どう考えても俺より若いんだけどな!?
アスターの混乱している耳にごくりと唾を飲み込む音がした。
自分ではなく、正面の男だ。
少々顔色が悪い。
商人らしく取り繕うこともなしに表情があからさまに言っている。
まずい。
藪を突きすぎて蛇が出たとでも言うような顔。
一思いに噛み付かないところは蛇より性質が悪いかもしれない。
それを観察するに、ラングはこのケリーとは対面済みなのだろう。
「ラング」
いっそ優しいと表現できるような声でケリーがもう一度男を呼んだ。
なのに神経を直接舐められているような、ぞわりと総毛立つ感覚に襲われる。
「は、はい」
さっきまでの親しさはどこに行ったのか、男は縮こまって返事をした。
「駆け引きは嫌いではない。だがあまりに稚拙だと面白くないと思わないか?」
静かに足を組み、貫禄すら感じさせる態度でケリーは聞いた。
意訳すれば、お前の話はつまらないと言うことだろう。
ケリーにそう言われたら、泣くかもしれない。
アスターは少しばかりまずい方面に流されている自分の心に危機感を抱きながら男に同情した。
「で?」
ケリーがラングを促す。
会話を却下されたラングに、話すことを許された内容など一つしかない。
「ダルディア商会があなたを探しています。」
聞き覚えがある所ではない。
それはここ以北、大華三国以南では一番大きな商売組織だ。
元は一商店から伸し上がった成金。
多くの商人を抱え、傭兵たちと組織体系を同にした雇用方法で力を伸ばしてきた。
その内部は血統で固められた同族会社。
今は大華三国にも進出しようと虎視眈々とその機会を狙っていると言われている。
話の流れからすればラングはダルディアに雇われている商人の一人なのだろう。
それにしたってわからない。
何故ケリーが探されているのか。
ダルディアは大きな組織には付き物の黒い噂も当然ある。
しかしそれは他から飛びぬけて多いとか、血生臭いとは言えないもので、許容の範囲内だ。
「先日あなたを探し出したものに金を出すと、通達が…」
ラングが小さな声で真実を告白した。
つまり、彼はその金が目的だったわけだ。
しかしラングの意図はどうでもいい。
アスターは思わず言わずにはいれなかった。
「…何したんだ、ケリー。」
「覚えがない」
ケリーが先ほどまでの近づき難さを投げ捨てて言い切る。
「お前も賞金首じゃないか」
アスターは弱ったように唸る。
ケリーは知らないはずだが、アスターも傭兵団の副隊長として恨みを買っているせいで中々の高額首。
これで賞金首二人の旅という、狙われない方がおかしい状況になってしまった。
「賞金首とは違います」
ラングが焦って言った。
『生死問わず』とは意味が違う、とラングは強く訴える。
ケリーとアスターは疑問を顔に浮かべてラングを注視した。
こうしているとケリーはきれいな所を抜かせば普通の少年だ。
「ダルディアはもう一度あなたを雇いたいのです」
意外な答えが返ってきた。
ケリーはどうやら一昔前は商人をやっていたらしい。
この形で?
幾ら頭が回ろうとこの姿では見習いか、親の手伝いをする後の若旦那が精々だろうに、ダルディアは金をかけてでも彼を捕まえたいという。
状況がわからないアスターに、もう一度言い直したラングの声が届いた。
「もう一度、顧問として帰ってきて欲しいと熱望しています」
「は?」
目が点になった自覚がある。
「何だって?」
聞き返したのは仕方がない。
「ケリー、お前…」
一体なにやってたんだ。
と聞く前にケリーが深いため息をついた。
「戻るつもりはないと伝えておけ。」
「しかし…」
「行くぞ、アスター」
「お、おお」
ケリーにつられて立ち上がったアスターを追いかけるようにラングの焦った声が聞こえた。
少し、縋るような声だ。
「ケリー!」
ケリーは一度だけ振り返る。
店の外が少し騒がしい。
ケリーの目線から外の喧騒に気を逸らして、ラングは少し笑ったようだった。
アスターはそれで気付いた。
舌打ちは迂闊な自分にだ。
ラングはとうにケリーの居場所を通報済みだったに違いない。
わざわざ姿を見せて話しかけて来たのは時間稼ぎだろう。
「俺は捕まらない。お前は金を手に入れる。」
誰の損にもならない。
ケリーはラングに言った。
話しかけられたことに肩を跳ねさせたラングはケリーの言葉にあからさまにほっとしたようだった。
アスターはラングを馬鹿と評する。
ケリーの目が酷薄な色をしているのに気付かない彼に、今まで苦手としていた商人という人種も大したことはないと思う。
静かに間を置いたケリーの周りが温度を下げる。
多分気のせいだろうが、剣の切っ先に似た目がラングを無感動に見下ろす。
胸を撫で下ろしていたラングもさすがにそれに気付いた。
椅子ごと思わず後退った彼を無様とは言えない。
それくらい当然のような不穏な気配が漂っていたのだ。
ケリーは剣を抜かなかった。
あからさまな文句もない。
ただ一言忠告した。
「次はない」
それだけ言って視線を戻し、もうラングを見ることはなかった。
大股で、玄関へと向かうケリーを追いかけて、アスターは最後にラングに目線をやる。
へなへなと力をなくしたラングは命が助かったことを喜ぶのでもなく、腰を抜かしている。
ケリーは本気だ。
彼に次はない。
剣を振るうケリーを知らなかったのかもしれない彼も、ケリーが表情一つ変えることなく人の命を奪えることがわかっただろう。
馬鹿だなとアスターはもう一度思う。
罠にかけてでもその目線を自分に向けて欲しいと願っただろうラングに。
本気ならば自分のようについて行けばいいのだ、と。
アスターも二度と振り返らずケリーの後を追って玄関を飛び出した。
少しのごたごたはいつものことで、さっさと振り切って街を駆ける。
「おいケリー、このまま街を出たほうが良さそうだぞ」
「ああ、わかってる」
少しばかり苦り顔のケリーに追いつき、そのまま併走。
無言の駆けっこは街の果てまで続き、街の境界を示す高い壁を、当然のように乗り越えようとするケリーに呆れたため息が漏れた。
夜は出入りが禁止になる街だからと言って、問答無用で壁を乗り越えようとするのは犯罪者か、自分達のような闇に片足を突っ込んだ連中だけだというのに。
元は商人?
絶対に嘘だ。
その前には更に何かしていたのだろうし、その度に誰かを誑かしていたに決まっている。
「で、結局お前何者なんだよ」
ケリーの後を追う様に壁を乗り越えるアスターは力なく聞いた。
もう幾度目かの問い。
ケリーはアスターを振り返ってにやりと笑った。
答えはない。
予想していた反応に、アスターは肩を竦めた。
仕方がない、ケリーだからな。
いつかどこかで誰かも思っただろう言葉をアスターは呟く。
「苦労しそうだ」
それだけは避けようのない事実だと、アスターは自分を振り返ることなく先を行くケリーを追いかけた。
50万打リク、秋野しあ様より『アスターか、団員が「お前何者だよ」と叫ぶ話』…なのに叫んでない。しあ様ごめんなさい!
50万打ありがとうございます!!
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