怒り狂っている火の玉に手を伸ばそうとする者が居るはずもなく、リィは猪の様に鼻息荒く治まらない興奮を抱えてかつての住処、西離宮の方へとかっ飛んで行ってしまった。
付き従ったのは当然主人には忠実な銀髪のシェラただ一人。
そのシェラにして顔を引きつらせていたのだから、今回のリィの怒り具合が測れようと言うもの。
しかしその相棒の様子はといえば、久方ぶりの白亜宮で怒れる金色を放ってのんびりと構えている。
ソファで優雅に紅茶をすする黒い人に一同はちらりと目をやった。
飛び出していったかの人に話しかけるのは火に油を注ぐようなものであるとわかっていたし、この状況できちんと説明が出来そうなのも彼だけだったからだ。
「おい、リィは大丈夫なのか?」
話の糸口をつかもうとまず口を開いたのはイヴン。
デルフィニアにおける特攻隊長。
ルウは小さく首を傾げ、それから合点がいったように「ああ」と笑う。
「気にしないで。あの子責任感じてるんだ」
いつも通り、ルウの言葉は簡潔。
意味は多く含まれているが、事情を知らないものはその意味のほとんどを読み取ることが出来ない。
ルウは少々前の事、まだ向こうの世界でケリー探しをしていた頃のリィを思い出す。
「あれよりは全然マシ」
あの強靭な精神力の持ち主が、憔悴が透けて見える顔で歯を食いしばっていた。
あんな耐える顔よりは、怒り狂っている今の方が何十倍も安心できる。
仕方ない。
「あの子はケリーが大好きなんだよ」
ルウはにっこりと笑ってイヴンに補足をした。
もちろん彼らにとっては唐突にしか聞こえない、脈絡もない台詞でしかなかったが。
ルウはそれで終わりと、もう一度視線を落として紅茶を飲んだ。
リィは言葉にして主張するほどケリーが好きだったのだ。
それから彼の妻のジャスミン、相棒のダイアナ。
デルフィニアで過ごした時間がリィの中で輝かしい記憶なのは間違いない。
あの時間がリィを大きく変えた。
人間を毛嫌いしていたリィは一応の日常生活を他人と営めるほど丸くなった。
それでも、好きだと言える人間はやはり特別。
彼女たちからケリーを奪うわけにはいかないと、本当に懸命だった。
自分たちにとって限りある時間が大切なように、彼らにとっても時間はとても意味のあるものだと知っていたから尚更だったのだろう。
何十年をかけて再会を誓った妻。
彼らだから何でもないように思えるが、客観的に考えて二人の軌跡は凄まじい。
ケリーに至っては自分の死すら違えようとしたのだ。
狂人とすら表現されるその行為の意味を、リィは理解しているだろう。
それからダイアナ。
もしかしたら自分のことを重ねたのかもしれないとルウは思う。
人ではなく、寿命を知らず、そういう生命。
無限かもしれない時間の中、限りある命を持つ相棒はどんな存在だろう。
ケリーを失ったダイアナは、あるいはリィを失ったルウに等しいかもしれない。
それを、その時間を自分のせいで失わせたら。
その責任感。
ルウが少しばかり浸っているとその耳に小さな声が聞こえた。
「そういえば」
今思い出したとでも言うように、相棒の伴侶が他の面々とはまったく違った顔で場の雰囲気を無視する。
「ルウどの、貴殿がいらしたら是非とも聞きたいことがあったのだ」
「なんだろう?」
いつだってこの王は自分たちとは違う次元でものを見ている。
だからきっとその質問は今自分たちがして欲しい質問とはまったく違ったものだろうと、彼らは不敬にもそう思った。
そしてその通りだった。
「ケリーどのは自分が人間だと主張していたのだが、天の国にも普通の人間がいるのだな」
「そりゃあいるよ。というか、ほとんどが普通の人間だよ?」
人口の割合で言えばむしろこちらの世界の方が魔法に通じる者が多いくらいだ。
「キングは正真正銘、本当に生身の人間だし」
一部は機械だか、それは今言うことでもないだろう。
のんびりと考えていたルウの言葉に、思いもよらずざわりと部屋の雰囲気が揺れる。
「なに?」
思わず戸惑ってルウが部屋を見回す。
彼らはそれぞれの反応を見せていた。
バルロは顔を顰めているし、ナシアスは苦笑、イヴンは苦い顔で肩を竦めるし、ロザモンドとシャーミアは顔を見合わせて驚きを共有している。
「…あれが普通の人間だと?」
信じられん。
そう漏らしたのはバルロ。
正真正銘の人間と言っただけで、あれが普通とは言っていない。
ルウは心の中だけで呟く。
あの人を普通と言ったら、本当に普通の人に申し訳なさ過ぎる。
ルウは苦笑を禁じえなかった。
つまり、ケリーはこの世界でも相変わらずケリーだったわけだ。
「よかった」
何となく安心してしまう。
「仕方ないよ、彼はキングだもの」
慰めにそんなことを言ってみる。
あの自由な魂。
それを変えることが出来るものなどどこにもない。
たとえラー一族にだとて、不可能だったことだ。
全てを一言に集約して結論付けてしまったルウの台詞に反応したのはイヴン。
聞き覚えがある単語が耳についたのだ。
「あいつも言ってたな、それ。」
「それ?どれ?」
ルウは目を瞬いて蜂蜜色の髪の持ち主を見る。
「『キング』って」
「そういえば、天の国では『キング・ケリー』と呼ばれていると、そう言っていましたね」
ナシアスが思い出しながら続けた。
「本当に?キングが、自分でそう言ったの?この王様の前で?」
「前というか、ウォルに向って言ってたな」
質問者がこの王だったのだから当然のことだ。
思わずルウは咽る。
「キング…なりの冗談、だったのかな?」
笑えない冗談だと、ルウは小さく顔を引きつらせて頷く。
「何だ、やはりそれには意味があるのか?」
自分たちを馬鹿にする意味でもあるのかと邪推するバルロが眉を顰めてルウに問う。
「え、知らないの?」
「ケリーどのは笑って教えてくれなかったのだ」
苦笑を刻んで教えてくれたのは正真正銘の王。
「…キング、自分の冗談は自分で回収して欲しかったかも」
ルウは額を押さえて呻った。
ケリーとしては冗談でも、これではケンカを売っていると勘違いされかねない。
「で?」
イヴンの促す言葉に、部屋にいた全員が同意して頷いた。
「あー…キングの意味?怒らない?」
きっと怒るだろう。
王以外は。
一応言ってみただけのルウにくわっと噛み付いたのはバルロ。
「さっさと言え!」
焦れたバルロが怒鳴る声にルウは観念した。
「僕たちの世界では、『王』って意味だよ」
「何だと!」
案の定激昂した。
本物の王であるウォルを前にしてそう言い切ったケリーの不遜さを今更知らされたのだ。
それは怒るだろう。
「あの小僧!従兄上の前でよくもそんなことが言えたものだ!!」
しかも意味がわからない自分たちを心の中で笑っていたに違いないのだ。
これが怒らずにいられるか。
バルロだけでなく、眉を跳ね上げているイヴンにしても、驚きの方が多い他の面々にしてもケリーを不敬だと思っていることだろう。
「でもねえ、僕たちにしたらそれが真実なんだよ」
ルウが困ったように言った。
「あなたたちの王様が彼であるように、僕たちの世界ではあの人は王なんだ」
だから怒らないでくれるかな。
ルウの声は静かに響く。
思わずバルロが黙る。
そういう声だった。
「彼は本物の人間だけど、でも彼を知る誰もが彼を呼んだんだよ。『キング』ってね。そう、僕たちの一族でさえ。」
何一つ、その名を否定される理由などない。
ルウは薄っすらと笑いかける。
「わかる?彼もまた、王様なんだよ」
言い聞かせるような声が背筋を撫でた。
ごくりと喉を鳴らす音が部屋に響いて、ルウはあっさりと重い空気を収めた。
にっこりと邪気のない顔で笑って。
「だからあの人を僕たちの世界の『普通』の基準にしたりしないでね。どっちかというと、人間としておかしい類の人なんだから。きっと王様たちも大変だったでしょう?」
随分な言われようだと、ケリーならルウの頭をかき回しただろう。
「やはりそうか、変わった方だとは思っていたが。だが好感の持てる方で、俺は楽しい時間を過ごさせて頂いたぞ。」
大らかにウォルが笑った。
「あなた以上に変わった人は中々いないと思うけど…」
ルウが言えば、思わず他も頷く。
なにせあのリィを伴侶に選んだような人間だ。
そして、同じ称号を抱くケリーに悪意を抱くことのなかった彼。
「うん、やっぱりあなたも素敵な王様だね」
ルウは破顔した。
何となく書きたかった。キング・ケリー万歳!!
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