「イヴン来ているのなら言ってくれ」
ノックもなしに文句を垂れながら現れたのはこの国の王。
最もエライ人間だ。
「おう、邪魔してるぜ」
ウォルに言われたからか、今更のようにイヴンが答えた。
イヴンは畏まった場が苦手だ。
だから極力王宮のような場所には顔を出さないようにしている。
と言っても立場上頻繁に訪れざるを得ないのが現状であったが、用事を済ませればさっさと姿を消すのが通例。
そのイヴンが珍しくこの建物の中でのんびりと過ごしている。
それを耳に入れた王はそれならばとイヴンの元を訪れた。
仕事に真面目な王である。
臣下も快く、むしろ今すぐに休んでくれと執務室から追い出されたのだ。
久々に立場を考えずに幼馴染と話ができると、にこやかに部屋に踏み込んだ王はイヴンの傍に投げ出された足があるのに気付く。
長椅子からはみ出た少年の足。
王は声を出さずに首を傾げる。
ケリーくらいの少年がやれば様になるその仕草は、不思議とウォルに似合った。
王様然としている時には決してしないその仕草に昔のままのウォルを見つけてイヴンが苦笑する。
イヴンと一緒にいるのならそれはケリーに違いないだろう。
こちらに背を向けた椅子に隠されて表情は見えないがご就寝中らしい。
「本人曰く、逃亡中らしい」
イヴンが簡潔に答えた。
ウォルはもう一度小首を傾げる。
逃亡中。
つまり何かから逃げているわけだ。
イヴン同様にケリーはあまり堅苦しい場が好きではないと見え、そうそう王宮には近づかない。
訪れるのはウォルやイヴンが何とか確保しているプライベートな場所だけだった。
例えばポーラの屋敷や、ケリーの実情を知っている者しかいない茶会とか。
やろうと思えばいくらでも優雅に振舞ってみせるくせにそれが面倒くさいとあっさり言い切るケリーはなるほどあの王妃の同郷者だ。
そのケリーが、逃げ隠れる場所にこの王宮を選ぶなどよっぽどのことだ。
「本人は放し飼いにしていたらしいんだがな。」
「は?」
「ひよこの話だ」
ああ、と王が頷く。
前にそんな話をしていた。
「それが思わぬ方向に成長したらしい。」
イヴンが肩を竦める。
一体何のことやら。
「まあ、予想できなくはないな。」
しかしイヴンの幼馴染はあっさりと納得して言った。
予想外だと思うのは本人くらいだろうと苦笑している。
「ケリーどの。おきていらっしゃるのだろう?久しぶりに一杯どうかな」
高級な酒を掲げてウォルがケリーに声をかける。
ウォルの言葉に反応してむくりとケリーが身を起こした。
「いいのか?また怒られるぞ」
「今更だろう。」
簡単に言ってのける王にケリーも笑う。
「そういうことなら大歓迎だ。」
ついてまわるひよこどもの姿もなく、噂の的にする貴族たちもいない。
別に疲れているわけでもないが、ここは肩の力が抜ける場所だ。
嬉しそうな王と、それからイヴンも、多分同じなのだろう。
どことなく共通した感覚が漂う。
杯を掲げ、一気に飲み干す。
ぴよぴよとうるさかったひよこはあれからもっとうるさくなった。
ケリーはひたすらに無視。
あんな危険な感情は受け取りたくない。
一時の熱だと高を括っていられたのも最初の二週間くらいか。
やがてうんざりとした気分で逃げ続け、最後には別の意味で人の目がうるさい王宮に避難する羽目になった。
そこでイヴンに会えたのは僥倖。
王が乱入してきたもの偶然の幸い。
「宮廷よりは少しは自由が多かろうとあの学校を紹介したが、どうやら堅苦しい思いをさせているようだな」
「いや、感謝してるよ」
相手は子供だ。
本当に一人になりたければ簡単にまけるし、多分少し脅せばどうとでもなる。
ケリーのそんな言葉の裏を読み取ってウォルは目を細めた。
「…先日ヴェラート子爵が亡くなった。」
唐突に話し出した王に杯を持っていた手を止める。
ケリーとイヴンは王を注視した。
「大分前から宮廷にも顔を出せない状態だったから、仕方がないのだが。その後が問題だろうと頭を痛めていたのだがな。」
つまりは相続問題。
「だが、これが驚くほど円滑に進んだ。」
ウォルは両手を広げて意外の念を表現する。
「争点は年齢的に問題のない庶子と、まだ歩けもしない嫡子のどちらが跡継ぎになるかと言うことだったのだが」
後見を立てて嫡子に継がせるのが一般的。
あるいは一時的に庶子を立てて、嫡子が相応しい年齢になれば退かせることもある。
「どうなったんだ?」
そういえばどこかの貴族が世代交代をしたと、耳にした覚えがあったイヴンがそれのことかとウォルに結論を問う。
長年付き合っているイヴンの勘で、特に困った事態を相談しているわけでもないとわかるから、のんびりと聞き手にまわる。
「それがなあ、そのどちらも跡継ぎにはならなかった。」
ちらりと目線をやって、ウォルは興味なさそうに相槌を打つケリーを見つける。
「ケリーどのはご存知だったかな」
「いや、知らないな」
本当にどうでもいいらしい。
それはあの少年にとっては悲しい事だろう。
それを仕方のないことだと思うのは自分の妻が同じように何かに捕らわれることをしないひとだったからだ。
「爵位はその妻が継いだ。」
少しだけ意外な表情をしたケリーに、やはりとウォルは心の中で確信した。
彼はあの家の家督問題に幾分か関わっているのだ。
少し前に子爵の屋敷の一つで騒ぎがあったのは知っている。
ヴェラート家は何でもないと必死に否定していたが、それは相続を廻る一族内の小競り合いだったのだろうと予測はできる。
それが家督争いの始まりの合図かと重い気分になったものだが、いざそうなってみると予想を覆した結論でもって簡単に終わった。
それでウォルはあの一連の騒ぎが、争いの始まりではなく終わりの合図だったのだと気付いた。
あの時点でヴェラート家の家督争いは終息していたのだ。
「だが遠くないうちにその地位を退くだろうな。」
長くても数年だ。
ウォルはそう見ている。
家督争いの勝者は彼女ではない。
子爵となった彼女と共に王の御前に姿を現した少年。
「その後を継ぐのはあのダミアン少年だろう」
それを聞けば何も知らないイヴンでも、その少年が実権を握ったのだと気付く。
イヴンが眉根を寄せて誰もが疑問に思うことを口にした。
「何でわざわざ継母に爵位を継がせたんだ。今はなりたくない理由でもあるのか?」
ウォルは今度こそ苦笑した。
中々鋭い。
「あるのだろう。」
正面から彼を見たからわかる。
「きっと学校を辞めたくないのだ」
「はん?」
「随分と子供らしくてかわいいわがままだと思わんか、ケリーどの」
思いっきり顔を顰めたケリーに水を向ける。
ケリーは苦々しく毒づいた。
「でかすぎるぞ、あんた。」
ひと言にまとめてしまった王の結論にケリーは思わず脱力した。
ウォルはまた長椅子に横になってしまったケリーをにこやかに見つめながら、広場で謁見した少年を思い浮かべる。
彼は子供だった。
ケリーに言った通り、自分のわがままを無理やりに通すような子供だ。
だが手段を講じて、それを叶える手腕は稚拙であろうとも末恐ろしい。
あるいは有望と呼ぼうか。
面白い。
王妃と共に戦乱の時代を駆けた日々は遠くなった。
あの頃台頭した者は重鎮として今もデルフィニアを支えている。
それを不満に思ったことはない。
しかし、今感じているものはそれとはまた違った熱を持つ。
新しい風。
時代の変化。
新世代の台頭。
新しい芽が育っているのだ。
それを実感させてくれたのはあの熱のこもった目を持つ少年。
時の流れを感じた。
だが、ウォルは感慨を抱いても、焦りも寂しさも抱かなかった。
なぜなら、彼らはウォルの敵にはなりようがなかったからだ。
この世界にウォルの器に収まらないものなどない。
唯一つ、あるとすれば彼。
ケリーくらいだ。
どうしてか、リィの時は周りがうるさかった。
男なら脅威になると、誰もがリィが娘であったことに胸を撫で下ろしたものだ。
今は反対だ。
むしろ周りがケリーを押し上げる。
誰も気付かないが、傍から見れば結構危険な状態だとただ一人、ウォルだけが気付いていた。
そのウォルは杯を傾けて楽しそうに笑う。
ウォルはケリーが好きだった。
そしてケリーが自分を気に入ってくれていることも知っていた。
ウォルにとって、友と呼ぶのに理由はそれだけで十分。
ケリーはウォルを視界の端におさめてその様子を見ていた。
そうして杯を呷った彼の口の端が上がるのを見ると、唐突に笑う。
考えていることはわかった。
だから笑わずにいられない。
イヴンが突然笑い出したケリーを気味悪そうに見ていたが構わなかった。
「王様、金色狼があんたを伴侶にした理由がわかったよ」
ケリーの言葉にウォルは笑みを深くする。
そしてケリーは耳になれた言葉を口にした。
「あんた、つまり変態なんだな」
目を丸くした王と、今にも怒号と拳を降らせそうなイヴンが尚更笑いを誘う。
なるほど、女王。
これは褒め言葉かもしれんな。
自分が言われて、まったく嬉しくなかったことなど忘れてケリーは暢気にそんなことを思った。
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変態は褒め言葉である。
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