のんびりと歩くケリーの邪魔をするものはいない。
学舎の廊下はそれなりにごった返していたが、ケリーの前にも、後ろにもひよこの姿はなかった。
ざわめきの中、ケリーはここに来た当初のように一人で行動していた。

ただ付きまとってくるなら構わない。
そこに盲目的な感情はいらないのだ。
それを厭うのを感じてか、少年たちは少しばかりケリーを遠巻きにするようになった。

しかし明らかに昔と違うのは彼らの目線だ。
ゆらりと歩くケリーの姿を、学友と話しながら歩くものも、次の授業の準備に追われているものも、廊下で雑談をしているものも、ちらりと見る。

好奇心ではなく、思わず引き寄せられる引力。
自然に譲る道。
離れて歩きながらダミアンは思わず苦笑する。
これを一目置いているとでもいうのか。

ケリーは怠惰な獣だ。
普段はほとんど起きることのない、温厚かとも勘違いする生き物。
だが獣は獣。
もうこの学舎ではその認識を間違える者はいない。

突然、窓際で雑談に花を咲かせていた少年たちの気配が揺れた。
何を見つけたのか、戸惑いが先にたつ。

「うわ!あれを見ろよ!!」

しかしすぐに誰かが叫んだ。
ケリーの存在に少しばかり緊張を含んでいた空気はそれで霧散した。

「まさか!」

同じように誰かが驚きの声を上げる。
声の出所はどちらも窓際からだった。

それを知るとばたばたと等間隔に作られた窓にあっという間に彼らは集まる。
まさしく鈴なり状態。

「嘘だろう!?」
「すごいぞ!」
「早く行こうぜ!」
「まさか今日だったとは!?」

窓から身を乗り出すようにしてそれを見つけた生徒たちは次々に言い募る。
騒ぎは伝染して部屋にいた生徒たちも廊下に出てきた。
そして窓の外を覗いては驚きと歓喜の声を上げて走り出す生徒たちに唖然とする。
しかし彼らも好奇心で窓の外を見て、やがて同じように走り出す。
上の階からも、下の階からもざわめきが聞こえてくるところをみるとどこも同じ状況なのだろう。

「ケリー、先に行ってる!」

一声かけて走り出したのはダミアン。
どうやら状況が見えないのは自分だけらしいとケリーは彼らを見送る。
外へ飛び出そうとする生徒が群れを成して一方向に流れていくのは中々迫力のある光景だった。

ほんの数分で閑散としてしまった学舎で、ケリーはのんびりと窓に近づく。
そしてやはりケリーも驚いたように眉を跳ね上げた。

しかしその後に面白そうににやりと笑った。

「なあるほど。こりゃあ思わぬビックイベントだ。」

眼下ではどこぞの騎士団長様が幾人かの部下を引き連れてひよこの群れに囲まれていた。
ケリーに言わせれば大狸の小姑である彼。

少年たちにしたら憧れの存在だと聞き知っていたが、ケリーの知る彼といえば口を開けば従兄上がと、何かとうるさいという印象が強い。

大貴族で、王の片腕で、この国で一・二位の実力を争う騎士団の団長様で、王家の血筋でもある男前。
先の大戦では大いにその腕を奮ったと聞く。

少年たちが興奮を隠し切れず、頬を上気させて彼らに群がっているのを見て、ケリーは少々捻じ曲がっていた自分の認識を改め直す。

「おや、まだ残っていた生徒がいたのですか。早く外に出なさい。」

窓からその様子を見物していたケリーの背に声がかかる。
振り向けば教師が苦い顔をした。

「君か。」

この生徒はどうも苦手だ。
大きな後ろ盾と出所のわからない派手な噂を差し引いても彼は扱いにくい生徒だった。
逆らうわけでもなく、群れるわけでもなく、誰かを煽るわけでもなく、それでも彼を苦手にする大人は多い。

思わず顔に出てしまったことを後悔した教師に、ケリーは驚くほど整った顔で笑いかける。

「強制参加ですか?」

こういうところがやりにくいのだと、教師は今度は何とか表情を取り繕って頷く。

「騎士団の訪問など滅多にあるものじゃない。きっと君にとってもいい経験になる。早く行くといい。」

普通の生徒なら、と教師は窓の外の騒ぎに眼を向ける。
我先にと飛び出していくのに、彼ときたらまるで興味がない。

「それじゃあ仕方がない。」

ひょいっと肩を竦めてケリーはのんびりと踵を返した。

こうして促しでもしなければきっと彼はここで高みの見物を決め込んでいたのではないだろうか。
急ぐでもなく、それでもその姿が小さくなっていくのをほっとして見送る。

彼との対面は妙に緊張を強いられる。
だから苦手なのだ。
たかが子供を相手に構えている自分を恥じざるを得ないから。

その心境をダミアンあたりが聞いていたら一笑に付していただろう。

それは当然だと。
だって彼はケリーなのだ。








この学び舎の伝統は数多くある。
その一つ、騎士団の学舎訪問は一年に一度の行事だ。
通常は前もって日にちが公表されるのだが、今回は異例だった。
教師陣に知らせがあったのも前日というあるいは無茶な日程だったのだ。

「まさかティレドン騎士団が来るなんて!?」

大抵は決まった騎士団がその時の状況やらを考慮して持ち回りで訪問をしている。
その決まった騎士団の中にティレドン騎士団の名はなかった。

「しかも騎士団長自らのお出ましだぞ!!」

こんな幸運滅多にない。
普段は中堅の騎士が新米を連れて稽古を付けてくれるのだが、まさかと目を疑う人物が今は彼らの目の前にいる。

ノラ・バルロ。
大貴族筆頭のサヴォア家当主にして、剛健で知られるティレドン騎士団の団長を務めるほどの実力者。

誰もが本物の騎士に会えるこの日を楽しみにしているというのに、訪れたのが彼だと知って舞い上がらないわけがない。

「ぜ、是非お手合わせを!」
「お前図々しいぞ!ここは年長者が優先だろう!?」
「実力なら俺のほうがある。俺が先だ!」

わいわいと騒ぎ出す少年たちにバルロと騎士たちは思わず笑いを漏らす。
騎士団が学舎を訪問することがあるのと同じように、少年たちが経験の為に彼らの騎士団に来ることもある。
騎士団としては学舎を訪問したことはないが、少数に振り分けられた生徒たちの受け入れをしたことは何度かある。
平和だからこそ出来ることだが、その時の生徒たちの様子はまったく興味深いものだ。
大抵反応は二分されるのだが、萎縮してがちがちになる者と負けん気の強さで食らいついてくるものと、もちろん騎士たる彼らにとっては後者の方が好ましい。

学舎訪問を受け持った騎士と話したことがあるが、やはり生徒たちの反応は年によって違うらしい。
恐れ戦き頭を垂れるときもあればがむしゃらに稽古に挑んで来ることもある。

今年はどうやら当たり年らしい。
ただの騎士団ではなくティレドン騎士団。
ただの騎士ではなく、団長率いる騎士。
それでも臆することなく経験と向上に励もうとする意志が清清しい。

バルロがちらりと目をやると中堅の騎士が頷いた。
彼は事態の収拾に当たるために口を開く。

「悪いがそう長居は出来ないのだ。」

生徒たちが不満の声を上げた。

「我々は君たちを激励に来たのであって、普段の騎士団訪問とは無関係でな」

どこかで納得と落胆のため息が漏れた。

「稽古はその際に十分に付けてもらうがいい。」

ほとんどの者は彼らに会えただけでも幸運だと思うしかないと諦める。

「…だが、それではつまらないな。」

続けた声は若々しかった。
頭を垂れていた少年たちが思わず顔を上げると男臭い笑顔が彼らを迎える。

「どうだ。こちらの騎士とお前たちの代表とそれぞれ五人ずつで一本勝負といかないか」

もちろん得物は各々得意なものでいいとルールを付け加えた。
驚いたのはどちら側もだ。

「団長、聞いてません!」

思わず叫んだのは若手の騎士。
五人というからには手合わせしなければならないのは自分たち新人五人なのだろう。
バルロやお目付け役の中堅騎士が出るわけもない。

「何だ、お前たちひよっこ共に臆したか?」

意地の悪さは騎士団でもぴか一のバルロがにやりと笑う。
挑発されていると分かっていてもここは騎士の誇りにかけて否定せざるを得ない。

「そんな訳はありませんが!」
「では問題はないな。だが、負けたらどうなるか分かっているな」

思わず唾を飲み込んだ新人たちの目線を受けて、年嵩の騎士は肩を竦めた。
この団長はやるといったらやるのだ。
止めることなど出来ない。
そんなこと分かっているだろうにと目線だけで伝えた。

彼らはざっと青褪めた後に、背筋を伸ばした。
もう自分で何とかするしかないと悟って、真剣な表情になった新人たちをバルロは満足そうに見る。

大騒ぎになったのはむしろ生徒側だった。

「おい、誰が行くんだよ」

呆然としていた中でそんな声が皮切りだった。
まさに蜂の巣を突いたような騒ぎになる。

我も我もと、最早名乗りを上げていない者はいない。

騎士団はそれなりの名誉と誇りを背負っているが、こちらは何もない。
負けて当然。
勝てば大いなる誉れになるだけ。
それなら挑戦しない馬鹿がどこにいる。

いつの間にか女子部の生徒たちも集まっていて、ギャラリーには事欠かない。
勝てなくてもそれなりに食いつければ、彼女たちの評価も上がる。

女三人寄れば姦しいとはいうが、男だってこれだけ集まればそれ以上だ。
主張するだけ主張しようとする彼らの様子はまるで大声大会。
思わず耳を塞ぎたくなる騒ぎだった。

「ケリー、どうにかしてよ」

少年たちの集団から少しばかり外れて様子を見ていたケリーに、集団の一番外にいたダミアンがうんざりした顔で声をかけた。

「何で俺が。」
「だって収拾つかないじゃないか」

ぎゃあぎゃあと言い合う声はいつの間にか怒号になっている。
このまま行けば殴り合いになりかねない。
ダミアンその他の少しばかり冷静な生徒たちは騎士団と女生徒たちの前でそんな恥はかきたくないと騒ぎに目を向ける。

「自分たちでどうにかしろよ」
「あのねえ、ケリー。君もここの生徒でしょう。このままじゃ身内の恥を晒すことになるんだよ」

ケリーは万人が美しいという顔を傾げた。

「俺は構わないがな」

別に何か被害があるわけでもない。
風評などどうでもいいことだ。

「大体何でお前はそれを俺に言うんだ。」

言うべき人物は他にいるだろうと言外に責める。
ケリーは最高学年というわけでもなく、この学校のイニシアティブを持っているわけでもない。

しかしダミアンは首を振った。

「分かってない。」

この学舎で誰もが一目置く人物なんて一人だ。
いつもは一匹狼でもその発言力がどれほどのものか、ダミアンは予想できた。

「俺もダミアンの意見に賛成。君の言葉なら多分みんな納得するよ。」

というか、彼以外の意見では意見をまとめるものが出たとしても、誰かが納得しないのが目に見えている。

うんざりとしたケリーが一つため息をついて、反論しようと顔を上げた時には無数の目がケリーを見ていた。
それこそケリーは頬を引きつらせる。

「ほらね」

ぴたりと収まった騒ぎと生徒たちを指してダミアンが言った。
結論を待つかのように大人しくケリーに注がれる視線を受け止めてケリーは空を仰いだ。

「冗談じゃないぜ」

お山の大将になどなるつもりはないのだ。








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