居心地の悪い呼び名を断固拒否する理由もなく、ケリーは何となく受け入れる。
誰かの前で呼ばれなければいいことである上、この老婆が表に出てくることもほとんどありえない事態だからだ。
感覚的にはあの黒い天使が自分を『キング』と呼び続けるようなもの。

「さて、わしに聞きたいことがあるようじゃが?」
「ああ、帰る方法を。」

ケリーは躊躇うわけでもなく、端的に聞いた。
取り扱いに慎重を要する問題でもないし、誰もが知っているケリーの目的だ。

「ふむ、中々の難題だのう」

老婆はそうは見えない軽さで言って、目を細めた。
ケリーが機械の目で何かを見極めようとするのと同じような感覚だろう、ケリーはだから大人しく老婆の結論を待つ。

それから幾許か後、老婆はふぉっふぉっふぉと、こもる様な声で笑い出した。

ケリーは意味がわからず、思わず怪訝さを顔に出す。

「なに、おもしろい。異郷の王よ、面白いものが見えたぞ」

愉快だと漏らす老婆は久々に声を上げて笑う。
最後にケリーをちらりと見て、言った。

「異郷の王よ、その呼び方が気に入らんなら、別の呼び名を思いついた」

唐突な話題変換は女という生き物の特技だと知っていたが、枯れたような印象を持つ老婆にもそれは適用されるようだとケリーは内心思う。

「闇のお人」

自分に呼びかけられたような声音だったが、ケリーはその表現で呼ばれるのに相応しい人物を知っている。

「黒い天使の事か」
「いやいや、あの方もそれ以外に呼び様がない。」

先ほどと同じような会話を繰り返す。
しかしその問答からどうやら先ほどの呼びかけは自分に対するものだったらしいと理解する。

「だが、そなたもそう呼んでも構わないじゃろうて」
「……さて、どうかな」

答えようもない。
まだ異郷の王と呼ばれる方が自分を表している気がする。
ルウを指す名詞でなくとも、例えばミイラ仲間の『黒いの』や『新月』を呼ぶのならわかる。

それがなぜ寄りによって自分なのだろう。
ぜひとも理由が知りたいものだ。

「ふぉっふぉっふぉ」

老婆はまた笑う。
ケリーの反応がよほどおかしかったのだろう。

「理由など簡単なことだ」
「お聞かせ願いたいな」

心の底からそう思う。
老婆は焦らすことなく教えてくれた。

「太陽と月が見えるゆえ」
「…は?」

しかしケリーには端的過ぎて伝わらない。
太陽と月というと、思い浮かぶのは空に浮かぶ天体のことだが、不思議な一族と関わりを持ったケリーが一番に思い描くのは二人の少年。
見目麗しいとしか言いようのない、金と銀。

「そうではないぞ」

考えを読んだように老婆が否定する。

「王妃を取り巻く『太陽と月と闇』は完結しておる。おぬしにはおぬしの太陽と月があろう」

自分の太陽と月。
さて。
老婆の言いたいことがおぼろげに見えた気がする。

「わしにはそれが何かはわからん。だが、そうさな、おぬしにはこれでわかるのだろう?」

老婆の目がどこかをさまよい、何かを読み取る。
人によっては暗号にしか聞こえないかもしれない言葉。

「真紅の女王と、11番目の月の女神」

ケリーにとってはそれは彼女たちを指すものに他ならない。
よくもまあ本人たちを知りもしないで、そこまで的確にそれぞれを言い表せるものだと感心すらした。

「太陽と月が傍にあるなら、もう一つは闇であるべきだろう」

老婆はそう言って、また楽しそうにケリーを「闇のお人」と呼んだ。
ケリーは苦笑を返す。

「太陽と月と闇は良くも悪くも影響し合うもの」

宣託のように老婆がケリーを見て厳かに告げた。

「太陽と月を欠いた異郷の王。あるいはこの世界にとっては幸運なことだったのかもしれん。今のそなたなら世界に対する影響は少ない」
「この状況が?」

思わずケリーは両手を広げて聞いてしまった。
何故か少年の姿で、更にデルフィニアの王位継承問題まで少なからず絡んできている状況。

「そうだとも、影響は最小限に抑えられているといっても過言ではない」
「安心した、とはとても言えない状況だな…」

思わずため息をつきそうになった。

「仕方ない、何がどうなろうともおぬしが王であることにかわりはないからのう」

まったく嬉しくない断言。
ケリーが顔を顰めていると、この数刻で聞きなれてしまった老婆の笑い声がまた聞こえた。

「良いこともある」

ケリーは顔を上げる。

「そうあるべきものは、そうあるべきなのだ」
「ご高説なら他でやってくれ」
「我慢の利かない王だ」

意味のわからない言葉には慣れているが、語る言葉を持っていてそうしないのには腹が立つ。
老婆はケリーの心情を読んだように世界を語る。

「わしが魔法街に居るように、世界の全てにはあるべき形とあるべき場所がある」

木が木であるように、人が役目を負うように、海が命を育むように、空に星があるように。

「それら全てが影響し合い世界が成る。どこかが歪めば世界も歪む。当然の理」

老婆は続けた。

「ゆえに世界に備わる力がある。正しい形を取り戻す作用」
「自己回復力ってことか」
「然り」

老婆はケリーに目を向ける。

「そなたも世界の一部。そしてあるべき形を持つ者。そなたには太陽と月もいる、尚更だろう」

言いたいことは伝わった。

「つまり待っていれば自然に戻るということか?」
「さて、それはどうかの」

ここまで言っておきながらその結論はないだろうと、ケリーが思ったのも仕方ない。

「おぬしを歪めた力はあの王妃のものであろう。ならばそれに対する自然の抵抗力は低い。」

困ったことにな。
困ったようには見えない老婆がそういった。

ケリーが老婆にどうこう言えるものでもなく、自分を助けるための力だったと知っているリィに対しては、たとえそうでなくとも文句を言う口は持ち合わせていない。

「働く力は微々たるもの。おぬしが寿命を迎えるまでに帰れたなら御の字だろう」
「そりゃあまた、嬉しい報告だ」

現在の少年姿が成長していくとして、前回の自分は事故死とは言っても72まで生きた。
あと10年生きる予定だったとしても推定70年はかかるということだ。

「自力で帰る方法を見つけるか、迎えが来るのを待つかの二択だということだな」
「自力で帰れるとでも?」

意地の悪い意図ではなく、老婆が聞いた。

「さあて、難しそうだが何もしないわけにはいないだろう」

ケリーはリィの言っていた言葉を覚えている。
ケリーとダイアナでは来られない場所にあるのが、シェラたちの故郷だと。
それでも帰らないという選択肢がケリーにない限り、何とかするしかない。

「まだ迎えを待つ方が望み高だろうて」
「リィのときは迎えが来たんだったな、確か六年。天使と金色狼の関係を考えるとそれでも最短だったと考えていいんだろう。となると、俺の場合は自然の回復を待つのと同じくらいの時間がかかったりするのか、もしかして?」

つまり寿命が尽きるくらいの時間。

「あちらとこちらを繋ぐことはあの方がいれば出来ない事ではない。ただおぬしの居場所を探し出すのは大河の砂一粒を捜すに同じ…やはり時間の問題となろう」
「こりゃあまいった」

そう気落ちしている様子もなくケリーが感想を零す。

「しかしおぬしは太陽と月を向こうに置いてきている。ならば諦めるのは早いだろう」

諦めるつもりなど小指の爪ほどもなかったが、老婆の言葉に眉を上げる。
促すようなその仕草に老婆は答えた。

「太陽と月と闇はどこでも特別だという意味だ」

真意はわからないが、どうにもこそばゆい言葉だと思った。

「わしらとしても、おぬしが早よう帰ってくれたほうがいい」

だからこそこうも協力的かつ饒舌なのだと老婆が教えてくれる。

「なに、おぬしが悪いのではない」

少々その理由に疑問を抱いたケリーに老婆がそう前置いた。

「おぬしの存在が問題なのじゃ」

それはつまり自分が悪いと言われているのと何が違うのだろうと思ったが、ケリーは口を挟まず老婆の言葉を待つ。

「世界に二人の王は必要ない」

まったくだと思う。
銀河の歴史を紐解いても同じ強さを持つ支配者がいた時代に碌な事はなかった。
互いに並び立つことを許さない強さが戦火を呼んだのだろう。

「世界の均衡を保つ上でおぬしは不要どころか邪魔にしかならん」

それは魔法街の住人にとって望むところではないと老婆の静かな声が聞こえる。
無言で責めを聞いていたケリーがふと老婆を見た。

「俺がこの世界の異物だと言う事は認めよう。」

彼らの主張を否定する気もなく、肯定する気もない。
だが、一つだけ。

「俺は支配者ではない」

誰にも支配されない。
だから誰を支配しようと思ったこともない。

「おぬしは王だ。その事実は変えようがない」

老婆は先ほども聞いた言葉を繰り返した。

ケリーは肩を竦める。
無言で立ち上がって、行きは引いた扉を押す。

最後に、目覚めたときから現在も引き続いて恩人であるこの国の王のために言葉を紡いだ。

「この国の混乱は俺の望むところでもない。」
「そうか、ならばよい」

老婆の声は閉まりかけの扉の向こうから小さく聞こえた。
何が起きたのでもない、それでも少々疲れる夜だったと、騒がしい町並みに立ち戻ったケリーは思った。






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ケリーはともかく、ジャスミンとダイアナはそのまま太陽と月だと思う。