雪は姿を消し、平坦な道が続く。
道中、話を聞くにどちらも似たような事情だったらしい。

二人はとにかくあの領地を抜けたかったのだ。
しかしそこはどうも治安が宜しくない。
人の出入りが厳しく制限されていた。

ならばどうするか。

二人がそれぞれに選んだのが傭兵業。
争っている当の本人に雇われるのだから領地には容易に入り込めた。
後は抜け出すだけだったのだ。

「なら向こう側についてもよかっただろうに」

アスターが言えばケリーが苦虫を噛み潰したような顔をした。
珍しいこともあるものだ。

しかしアスターは答えを求めなかった。
思うにあのハゲを選んだ理由はどちらも同じだと思ったからだ。

「身分証を持ってないのか」

ケリーに聞いてみればケリーはますます苦い顔をした。
向こうの領主はまともな人間だったようで、きちんと身元を確認した。
変わってあのハゲは戦力になれば何でもよかったらしい。
ケリーもアスターも名以外に求められたものはなく、その名すら彼らは真実であるかどうかを確認することはなかった。

「持ってるさ、無駄に立派な身分証をな。」

憮然とした表情からは事情は読み取れない。
身分証を持っていて何故ケリーがハゲを選んだのか、アスターは自分の事情と照らし合わせて聞かない方がいいのかと思案した。
しかしケリーはアスターに聞く。

「過ぎたるは猶、及ばざるが如しって言葉を知ってるか」
「ああ。」
「名言だよ、まったく」

ケリーは立派過ぎる自分の身分証を思い描く。

『過ぎる』とは時に有害だ。
デルフィニア王がくれた身分証はそれはそれは立派なものだった。
いささか目がちかちかしたほどに絢爛豪華なのは目を瞑ろう。
他の身分証と違ってその長さにも理由があったから納得した。

しかしだ。
外務省が長の名の下に発行してくれるはずのその身分証に、ケリーの身元を保証する者として、長以外の名が連なっているのはどういうわけなのだろうか。

貴族の名としてよりは武人として名高いナシアス・ジャンペール。
筆頭貴族のロザモンド・シリル・ベルミンスター。
国王の従弟であり、勇名を轟かしたサヴォア侯爵家当主ノラ・バルロ。
デルフィニア国王の腹心と目される独騎長イヴン。
その他、シャーミアンは勿論のこと、どこぞの将軍とか宰相とか女官長とか、とにかく仰々しい名が並んでいるのだ。
極めつけは国王の玉璽、だけでなく国王その人の名が堂々と記されていたりする。

無駄に長くなったケリーの身分証がきちんとその役目を果たしたことはデルフィニアを出てから無いに等しい。

だれがそんなものを見せられて本物と信じるというのか。
何の冗談だと笑うか、偽造にしても程があると呆れるか、馬鹿にするなと怒るか、そのどれかの反応だった。
信じたとしてその後の上にも下にも置かない接待振りに辟易させられ、立派過ぎるその身分証を直ぐに荷物の一番底に仕舞いこんで早数年。

無用の長物と化した身分証はむしろ重荷だ。
恩人が親切心でくれたものだから無碍にするわけにもいかず、とにかく持ち歩いてはいるのだが、むしろなかった方が気が楽だった。

「あんたも、身分証は持ってるんだろう?」
「まあな。だがお前と同じで出せない事情がある」

二人で肩を竦めた。

「おおっと、隠れろケリー」

アスターが言って、街道近くの雑木林に飛び込み、ケリーも躊躇わず後を追う。
しばらくすれば馬が人を乗せて数基駆けていった。

何だかんだで屠った傭兵の仲間に追われる身となった二人。

「またお尋ね者か」
「面倒だが…」

思わずため息をついたアスターの後にケリーが呟いて言葉を濁した。
面倒だが、ケリーには日常であり、特に困った事態でもない。
同じくアスターもこの罪状が無効になる方法を知ってた故に緊迫感はない。

たまに剣戟を交えながらも南下の道を歩む。




ケリーは恐ろしく強く、また豪胆で、そしてよく人の目を惹いた。
しかも実のところ優しかったりする彼の隣は何となく優越感がある。

癖になるな、と冷静に思っていた頃が懐かしい。
直ぐにその場所は手放し難いものとなった。
どうやら彼には中毒性があるらしいと気付いた時にはもう遅い。

ケリーとの旅は驚愕の連続で、アスターの常識という言葉は雪崩を打って体外に飛び出していった。
ぐらんぐらんと揺れる頭を抱えながら、ケリーに叫んだこと数十回。

「お前、何者だよ!?」

何があったかは、アスターは最早語らない。
今となっては聞きなれたアスターの叫びにからからと笑う彼に見惚れるだけ。

ケリーに潤んだ目を向ける女も、歓声を上げる町人も、感極まって泣き出す港町の人々も、いっそ平伏する貴族達を見たってアスターは驚かない。
実のところもう見慣れた。

「まあ、ケリーだし」

全てはこの言葉で済むと気付いてしまえばなんのその。
どんな驚愕も乗り越えられる。

アスターはあっという間に自分より頭一つ分高くなってしまった彼の、一層磨きがかかったように感じる美貌を見上げて思う。

王がいる。

悠然と顔を上げ世界を穏やかに見つめる。
時に鋭く人の心を締め上げる。
時に恐ろしく死を宣告する。
そして笑いながら感情を鷲掴む。

何も支配せず、何にも支配されず、だか何もかもを魅了する男。
放浪の自由王がそこにいた。

自分ばかりが魅せられ、驚かされるのが少し気に食わなくもあった。

だがアスターはほくそ笑む。
一つだけ彼を驚かせられる心当たりがあった。

もう直ぐアスターの旅の終着点。
仲間達がアスターの帰還を待っているはずだ。
さて、いつ教えるべきか。

アスターは――上級と最級を行ったり来たりする傭兵団グランディーの副団長、アスタロト・グランディーはその名を名乗る時に思いを馳せて悦に入った。

きっとケリーの顔は見ものだろう。

ケリーの面白そうな、何かを企んでいるような顔が自分に向いていることに気付かず、アスタロトは笑った。







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楽しかったけど力尽きた。終わり。