物音にアスターは飛び起きた。

すわ敵襲かと思わず手元の武器を探ったが、その辺りでどうやら違うらしいと気付く。

「悪いな、起こしたか?」
「ケリー?」

敵襲があるにしても長年の経験上今日はないと踏んだ自分の勘が外れていなかったことに安堵しながら、アスターは暗闇から聞こえてきたケリーの声に疑問を返した。
ケリーが謝ったからには物音はケリーが起こしたのだろう。

「いやあ、起きたら汚い顔が目の前にあったんでな、思わず手が出たんだ」

あっけらかんと笑いながらする話ではない。
思わずアスターは完全に立ち上がって昂然と暗闇を突進した。

「別にわざわざ起きてくることなかったのに」

暗闇から現れたアスターを見て、ケリーが首を傾げて言った。
相変わらず無駄に美しい顔だ。
襲いたくなるのもわからないでもない。
だからと言ってわかるのとそれを実行に移すのとでは天と地ほどの差がある。

アスターとしては万死に値する行為をしでかしたその男はケリーに襟首を捕まれたまま意識を飛ばしているようだった。
ケリーが手を離せばそのまま床と接吻だろう。

「とりあえず無事でよかった」

ケリーがぼんやりとした暗闇の中でちょっと意表をつかれたような顔をして、それから小さく笑った。

「これくらい自分で処理できるさ。でなければ片田舎から出世を夢見て出てきたりしない」

どこまでが本気かわからないことを言う。
しかしその言葉にはこんなことはよくあることだというアスターとしては苦い思いしか浮かばない嫌な肯定が含まれている。

「万が一なんて事もない。気にするなよ、アスター」

自分が彼らに遅れをとることなどないという絶対の自信が見て取れた。
アスターは曖昧に笑った。
どうも彼は調子が狂う。
世間知らずかと思えばどうも只者ではない雰囲気がする。
子供かと思えばこんな風に大人のアスターをそれとわからないように気遣うようなことも言う。

「一発で伸したのか。」
「おうよ、自分の身が危険だったからな、思わず。」

思わず手加減なく殴ったとでも言いたかったのか、ケリーは言わずもがなだと言葉尻を消した。

「危うく剣を抜くところだったぜ」
「そうしてやればよかったのに」
「おいおい、随分と物騒だな」

それでもケリーは笑っていた。

本当に片田舎から栄光を求めて出てきた少年達をアスターは知っている。
彼らはほとんどがその栄光を掴むことなく、ただ現実の厳しさに負け、命を落すか夢を手折るかのどちらかだった。

何となく、ケリーは人を殺した事があるのだろうと思った。




雪原の朝は眩しい。
目が焼かれないように直視せずに隣で平然としているケリーを見る。

彼はその端正な左目を閉じて、右目だけで景色を見ていた。

「何やってんの、お前」

その行動が甚だ疑問だったのでアスターは素直に聞いてみる。
綺麗な顔に関わらず、ケリーは案外付き合いやすい奴だった。
ついでに言えばあまり年齢の差すら感じない。
無理矢理子供扱いしてみてもまったく効果がないところがますます憎たらしい。
これで少しでも不貞腐れたり、いじけて見せてくれたら可愛いだろうにとは思うが、ケリーにそれを望むのは無謀だとアスターはここ数日で学んでいた。

「決まってるだろう、見てるのさ」
「何で片目で?」
「片目のほうがよく見える」

たまによくわからない答えが返されることもあるが、アスターはこれもまた慣れた。
曖昧な返事をするアスターにケリーが少々顔を緩めたが、それには気付かず、後ろで粛然と待機している仲間を振り返る。

その顔に痣を作っているもの数人。
ぎこちなく立つ者、やはり数人。
アスターはため息をついた。

もはやケリーに手を出そうとする者はいない。
ケリーが雪原から目を移して彼らを見たときには彼らは慌てて目を合わせないように明後日の方向を向いて、更にわざとらしく口笛を吹いて見せるものまでいる。

アホか。
アスターは目線が冷たくなるのも仕方がないと思いながら最後に眩しい雪原をちらと見た。

「来るとしたら昼か夜か」

ちょっとした試験問題のように聞いてみる。

「夜だろ」

あっさりと言うケリーにふーんと返すアスター。
傍から見れば世間話にしか見えない。

二人が屋敷に戻ったのを見届けてから仲間達はどやどやと玄関に殺到する。
朝食もケリーとアスターが口をつけるまで決して食べようとしない。

待てと言われた犬のように忠実な彼らに愛着は湧かない。
なぜなら見目が宜しくないからだ。
これでケリーくらい美形だったら頭くらい撫でてやろうと思うのだろうが、彼らは如何せん筋肉だるま。

そういう訳でアスターはわが身だけを考える。
どうせケリーは自分で何とかするだろう。

夜。
予想通り敵襲があった。

当主のヒステリックな声は耳に障ったが、ここまで平穏な数日を過ごしていた仲間達は我先にとストレスを解消するかのように喜々として飛び出していった。

アホ。
だから生き残れないのだとアスターは彼らの背中を見送った。

その道は死地に続く道だと何人が気付いていることか。
多分誰も気付いていないだろう。

「さて、行くか」

アスターは自分の荷物を掴むとさっさと戦闘の音から遠ざかる。
屋敷はそれなりに広いが迷うことはない。
この数日つぶさに見てまわったものこのため。

下らない領地争い。
ちょいと足を向けた向こう側に雇い主が敵と定める相手の屋敷がある。
長年にらみ合ってきたのだろう両家が激突した理由は知らない。
聞きたくもない。

小国の更に辺境の、南には珍しく雪に覆われた痩せた地で、彼らが何を考えて生きているのか、傭兵たる自分には想像もつかなかったし、知る必要もなかった。
そのことに安堵すらしてアスターは傭兵という職を選んだ自分を褒める。

「貴様、どこに行く!」

聞き覚えのある声は無理返らずともわかる。
あの仕事熱心な執事だ。

振り返り様武器を揮った。
三節昆に見えたそれは瞬く間に姿を変えて一本の槍になる。
ケリー曰く、持ち運びやすそうだとのことだ。

まさしくその通りで、槍が一番使い勝手のよかった自分が、持ち運びに苦労した末に辿り着いた愛用の武器だった。

一刀両断とはまさにこのこと。
執事はあまり趣味のよくない絨毯に自らの血を吸わせた。

「…うむ、敵もなかなかやるな。こんな短時間で屋敷の奥まで入り込んで、俺の目の前で主人に忠実な執事を殺して見せるんだから。」

アスターは呟いて背を向ける。
無理が過ぎるいい訳だが、どうせこの屋敷は遠からず落ちる。

「はっはー、見事なもんだな」

アスターは突然にかけられた声には驚かなかった。
どうせ敵前逃亡の道で出くわすのは彼だろうと思っていたのだ。

「…敵がな、入り込んでいるようなのだ」
「ほっほう、それは大変だな。奥にいるのか」
「ああ」
「それじゃあ、そいつは探し出して殺さないとな?」
「だろう?」

にやりと笑って二人で屋敷の奥に進む。
いるはずもない敵の姿を追って。

がんと蹴破ったのは裏口。
一面の雪景色は相変わらずだ。

「さて、早いとこずらかるか」
「傭兵の名が泣くぞ」

こんなところまでついて来たケリーが今更そんなことを言う。
しかも楽しそうに笑いながら。

「人間、命あっての物種だからな」
「まったくその通り」

ますます楽しそうにケリーが同意した。

「名なんて体裁が必要な時だけ守ればいいんだ」

アスターは後ろの騒音を振り返って哀れむ。

「個人の傭兵は生き残ってこそ名があがる。何も背負っていない名に命を賭けてどうする」

傭兵団がそれに命を賭けるのは背負う名があるから。
一度堕ちた名を拾うものなどいないから、彼らは名誉と誇りを持って戦う。
自分達をより高報酬で売りつけるためにそれは守らなければならないルールだ。

だが彼らゴロツキの個人名など風に同じ。
主人を裏切り、逃亡して、流れる噂などチリに等しい。
実のところそれが痛くもかゆくもないことを彼らが知ることはきっとないのだろう。

「合理的だ」

ケリーが頷いて、そして飛び退る。
雪の上に溝が出来る。

「貴様ら敵か、救援など呼びにはいかせん!」
「あらら、見つかったな」
「救援ねえ、そんなものがあのハゲにあるわけないだろうに」

降って涌いたのは三人。
実に連携が巧く、役割分担をして牽制と同時に仕掛けてくるが、二人はのんびりと感想を言い合う。

「さすがゴロツキとは違うな」
「だろう?これが傭兵団の力ってものだ」

何故か自慢げにアスターが言った。

「向こうが傭兵団を雇ったってのに、金をケチってゴロツキなんぞ集めた時点であのハゲは負けを認めたようなもんだ」
「自分の命を値切ろうとした根性は褒めてやってもいいけどな」

値切って質を落とし、結局は命を落す羽目になる。
結果は散々だ。
多分そろそろゴロツキたちも何かに気付いて、命がある者は逃げ出す頃合だろう。

何となく、それでも自分と相手が真面目にやれば負けなかったかもしれないと、互いに思うのだが、生憎とケリーにもアスターにも、しなくてもいい窮地に自分を追い込む趣味はなかった。
彼らに何かを踏みつけられたわけでも奪われたわけでもない二人には敵前逃亡はまったく心のどこも痛まない行為だったのだ。
多数対少数。
劣勢とわかっているのに、統制の取れた相手に突っ込んでいく無駄な根性はこれっぽっちも持ち合わせていない。

「貴様ら!真面目にやらんか!」

そんな会話を交わすケリーとアスターに思わず一生懸命に動き回っていた彼らが怒鳴ったのは仕方のないことだった。
ケリーとアスターは顔を見合わせる。

「こいつらも結構馬鹿だな」
「…面目ない」

傭兵団の意義と素晴らしさを説いていた身としてはアスターは謝るしかない。

「さて、真面目にやれと言われたからには真面目にやらんとな」

ケリーがのっそりと言った。
そうだろうと覚悟はしていたが、そのあまりの変化にアスターは思わず目を見張った。

気配が変わる。
全身の毛が逆立って、鳥肌がたった。

後ろに位置するケリーを振り向くことはなかったが、思わずアスターは冷や汗を流した。
敵にしなくてよかった。
やろうと思えば背を向けている今、アスターの命を奪うことは彼にとっては難しくないだろう。

「ふふ、ははは、まったく何て旅だよ」

思わず笑った。
ただの遠出だったのに、思わぬところで思わぬ出会いがあった。
いまだ見たことのない大器だと確信がある。
まだ見出されていない珠玉を見つけた気分だった。

アスターは自分の誇りに賭けてケリーに後れを取るわけにいかない。
そして目を細める。
ざわりと木々が揺れたような気がして、かわりに全ての音が消えたように感じる。

そうしてやっと彼らは気付いた。
ケリーたちが自分達を馬鹿だと言った訳を。

彼らが真面目に戦ったら自分達は死ぬ。
彼らはそれを知っていた。
知らない自分達は自分でその死神の台帳に判を押したのだ。

「う、わ」

断末魔も響かなかった。
アスターがほんの二振りで敵を屠り、振り向いた時にはケリーの足元に死体が二つ転がるところだった。

背後が明るく輝いた。
驚くでもなく振り向くと炎が上がっている。
勢いのある火は燃え続けて、明け方にはこの屋敷を嘗め尽くすだろう。

「証拠隠滅。いい具合だ」
「…あんた、本当にいい性格だよ」

これで自分達がいた痕跡も何もかもを消してくれる。

「さて、行くか」
「ああ」

傭兵団の仲間が集まってくる前に姿をくらます。
別に二人で手に手を取っての逃亡劇ではなかったが、とりあえず道を分かつことなく歩き出した。







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不味い、疲れてきた。