「ここ、どこだ?」

呆然と呟く。

「お前…」

縁があって旅の道程を共にしていた少年がいた。
背中を預けることもあるその少年のことを、アスターはそれなりに信用している。

彼をただの少年と言うなかれ。
有名傭兵団の副隊長であるアスタロトが背中を預けられる状況というものを考えてみればいい。
実力は文句なしだった。
臨時の相棒として、外見は華やか過ぎ、少々背丈も年齢も足りないが、頭も腕も十二分に持ってた。

が、これは想定外。

「お前…何者だよ!?」

仕方がない。
仕方がないのだ。
精神的安定感には定評がある傭兵のアスターがそう言い訳をするくらいには状況が理解できない。

目の前の貴公子然とした少年が笑った。
見覚えのある顔立ち。
華やかだと思っていた顔立ちが尚も際立って、どうみても一介の放浪人とは思えない。

「お前、誰だ!!」
「おいおい、もうボケたのか。それとも打ち所が悪かったかな」
「ふふ、ケリー様あまりからかってはお気の毒ですわ」

思わずアスターは頭を抱えた。
ケリー様?
それに聞きなれない上品な言葉遣いの娘の声。

「初めまして、わたくしのことはアリスとお呼び下さい。ケリー様のお友達に会えるなんてとても光栄です」

娘はケリーより一つ二つ年上に見えた。
それはいい。

娘の格好といい言葉遣いといいどう見ても貴族。
それが問題。

貴族。
アスターにとっては商売のお得意様だ。
つまり雇い主。
それ以外に接点があった試しがない。
傭兵団には落ち零れ貴族や貴族の端に辛うじて引っかかる者や貴族のぼんぼんなのに家出してきたヤツもいたが、彼らは世俗に染まった、平民より強かな人間だった。

が、目の前にいる娘はいわゆる本物というやつだ。
しかも恐ろしいのは、薄汚れた格好で旅をしてきた臨時の相棒がその隣に立って違和感がないというところだろうか。
平民が着ても浮くだけに違いない服をすっきりと着こなして薄紅のドレスに身を包んだ少女と並んで微笑んでいる。
ある意味似合い。
爽やかな若いカップルを見ているかのようだ。

ベットの上で呆然としているうちにノックが聞こえた。

「ケリー様、旦那様がお呼びです。」

あれは俺たちに一生縁がないだろう使用人というやつではなかろうか。

「ああ、わかった。今いく」

ケリーが驚くこともなく鷹揚に返事をした。
ケリーはアリスに二言三言呟いて、その髪を撫で名残を置いて部屋を出て行く。

倒れそうだ。
眩暈がする。
何だ、今の気障な仕草は。

一体何があったのだろうかと、回らない頭で考えていると小さな笑い声が聞こえた。
アリスと名乗った娘だ。

「アスター様とお呼びしても?」
「いえ、呼び捨てで結構です」

お貴族様にそんな風に呼ばれるなど鳥肌が立ちそうだ。

「アスター様にとってのケリー様は今のような方ではないのですね」

しかしアリスはアスターの話を聞いていないのか、それともあえて無視しているのか、様付けをやめなかった。
貴族らしいと言うか、自分の思い通りに事を運ぶのはアスターの知る貴族の共通点だ。

少々気に障ったが、それよりも彼女の言葉の内容に気を引かれた。

「姫さまにとってはあれが普段のケリーなんですか」

嫌味もつけて『姫さま』と呼んだアスターに、アリスは気を悪くした様子もなく頷く。
否定しないところが自分を下に見ている証拠だと意地悪くアスターは思う。

「ええ、ケリー様は初めて会った時からああでいらしたわ」

何が楽しいのか、アリスは笑いながら答える。
上品な笑い方だ。

「久しぶりにケリー様に会えた事をアスター様には感謝しなければなりませんね」
「どういうことですか」
「あら、覚えていらっしゃらない?」

小首を傾げる仕草はわざとらしくはない。

「驚きましたわ、ケリー様が血だらけのアスター様を連れてきたときは」

言われてアスターは記憶を蘇らせる。
雨の日。
襲撃を受けたのだ。
しかも間が悪く、運も悪く、タイミングも悪かった。
偶然のなせる業で、アスターは肩に灼熱の痛みを貰った。
襲撃を何とか切り抜けたが、傷は浅くはなかった。

ケリーに謝った気がする。
それから先は記憶がない。

察するに、どうやらここに運び込まれたらしい。

「こんなことでもなければケリー様はわたくしの元へは来て下さいませんもの。それでもわたくし、ケリー様頼ってくださったことをとても嬉しく思っていますわ」

アスターは動かしていなかった肩口の様子を探る。
痛い。
が、熱はもうない。

「もう大丈夫だと侍医が言っておりました。あとは養生して傷の回復を待つばかりだと」
「侍医!?」

アスターは思わず高い声で叫んだ。
アスターの声に驚いただろうが、アリスは顔には出さずににこにこと笑っている。
教育の賜物だろう。

貴族は貴族でも大分格上。
まずいことになった。
貴族専属の医者を使って治療されたらしい。
恩を受けるくらいなら莫大な金でも払ってチャラにしたい。

「このお礼は必ずさせて頂きます」

生憎と金はある。
ここにはないがしかるべきところで受け取ればそれなりの財産は手元に来るはずだ。
残る金はないかもしれないが、それでも借りは嫌だった。

「お気になさらずに。わたくしの方がお礼を申したいくらいだと言いましたでしょう?」

嘘だ。
こんな都合のいい展開がある訳がない。

「そのかわり、ケリー様のお話を聞かせてくださる?」

彼女の願い事は些細だった。
そして本気だった。



それから毎日アリスはアスターを訪ねてくるようになった。
この屋敷がどれほどのものかは知らなかったが、歩けるようになった日、露台に出てみて目の前に広がる優雅な庭に目を見張ったものだ。

中流どころか、かなりの家柄の貴族に違いなかった。

何でこんな所に連れ込んだのだと、恩も忘れて詰ったアスターに、相変わらず貴族にしか見えないケリーは意地悪く笑った。

「貴族嫌いか?」
「悪いか」
「いいや。だが傲慢だな」

ケリーはそれだけ言い置いて消えた。
毎日どこにいるのか、ほとんど姿を見せない。
憮然としたアスターの元には代わりにアリスが姿を見せる。

毎日ねだるのはケリーの話。

何が面白いのか、時々声を上げて笑った。
初対面の時のような上品な笑いではなく、娘らしい明るい笑い声。

「アスター様!?」

テラスに出たアスターをいつものように部屋に入ってきたアリスが慌てて見咎めたことがある。
後ろ手に急いで扉を閉め、アスターをベットに押し込む。

「歩けることに気付かれてはなりません。まだ回復していないと見せかけるのです」

真剣な目で忠告するアリスにアスターは思わず頷いた。
ふと思いついて、アスターは初めて彼女に聞く。
アスターはアリスに散々ケリーの話をしたが、彼女の話は聞いた事がなかった。

「どういう関係なんです?」

少し考えてアリスは答えた。

「婚約者だと言ったら驚きま……したわね」

言葉の途中で目を見開いてしまったアスターをアリスは笑った。

「冗談です。あの方は誰のものにもならないと、アスター様もご存知でしょう」

悪戯が成功した子供のようにアリスは嬉しそうに言った。
そうしているとアスターが知っている娘達より朗らかで曲がったところのない少女だ。

アスターは彼女が貴族でなければいい娘なのにと残念に思ってケリーの言葉を思い出す。

「…なるほど」

確かに、目が濁っていたらしい。
アスターは思い直す。

貴族だろうと、彼女は好感の持てる娘だ。

しかしアリスは、アスターが好感を持ったその顔を曇らせて憂いたように呟いた。

「ケリー様は自由なお方。でも、お父様はそれをお分かりにならない」
「え?」
「…ケリー様がここに留まってくださるのはアスター様がいらっしゃるからです」

困ったように眉尻を下げて、アリスはアスターに無理に笑ってみせる。

「アスター様が回復なされたと知ったら、お父様はきっと強引な手段に出るでしょう。」

困った父でごめんなさい。
アリスはアスターに謝る。
ケリーはアリスの父のわがままに付き合ってくれているのだと知らされた。
アスターが回復するまでの期間だと、それくらいは苦にならないとアリスを慰めてケリーは大貴族の気まぐれに付き合っている。

どこにでも連れて回る見目のいい少年は一人娘にあてがう秘蔵っ子だと噂が広まりつつあった。
跡継ぎと目された少年は如才なく振舞っているらしい。

「でも、わたくしの父ですから」

情がある。
アリスは自分がケリーに好かれている自信があった。
それは小さな娘の頭を撫でるような感覚かもしれないが、それでも可愛がられているのだと知っている。

ケリーはアリスのために、父の手を振り払う手段として剣を抜くことはないだろう。

「…楽しかったけど、わたくしのわがままでこれ以上伸ばしてはいけませんわね」

アリスは少し寂しそうに呟き、次には乾いた音がした。
アリスが自分の両頬を手で叩いたのだ。

「さあ、準備をしなくては」
「頬が赤くなってますが…」
「ケリー様が教えてくださった、気合を入れる方法です。効きますよ、アスター様も試してみては?」
「いえ、遠慮しておきます」

貴族の姫様に何を教えてるんだ、あいつは。
顔を顰めたアスターにアリスは微笑んだ。

「心配なさらないで、手配は万全にします。必ず無事に出られますわ。」

貴族らしい笑顔。

「ああ」

そう言う意味じゃなかったんだけどな。
アスターはその後は大丈夫なのかと、聞けなかった。







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50万打リクを書いていたら思いついた。遊覧の旅人Tより前の話だと思われる。
ケリー脇役…。