きらきらしい夜だった。
そういえば今日は昼から扉の外がざわめいていた。
「アスター様」
そっと部屋に忍び込むように声をかけてきたのはアリス。
彼女は夜に男の部屋に入るようなはしたない娘ではなかったから、この時間帯に会うのは初めてだった。
珍しいこともあるとアリスの姿を目に入れて、目を見張った。
「?…ああ」
アスターの表情に一瞬驚いたようで、しかしアリスは合点がいってドレスの裾を掴んだ。
少し微笑んで、挨拶。
「初めまして、アスター様。今宵はどうぞお楽しみください」
お決まりの台詞なのだろう。
とても様になっていた。
「今日は何かあるのか」
「ええ、当家主催の夜会が。ホールはもうお客様がいらっしゃっています。」
いつものドレスが質素に見えるほどの煌びやかで華やかな衣装。
当たり前のように着こなす彼女はやはり住む世界が違う。
「アスター様。今日はお別れを言いに参りましたの。」
「え」
「準備は全て整いました。時も来ました。今日の喧騒と夜陰に乗じてお逃げになって。ケリー様と落ち合える機会はわたくしがつくります。」
「…姫様は大丈夫なので?」
「これでもミルベール家の一人娘です。」
アスターにとっては衝撃の一言を残して、アリスはひらりと身を翻して滑るように扉の向こうへ消えてしまった。
「ミルベールって…嘘だろう!?」
この国では王に次ぐ四大貴族の一つ。
「おいおい、ケリー」
思わず天井を仰いでアスターは呟く。
「呼んだか?」
ぎょっとして振り向けば、どこから入ってきたのか、多分窓だろうが、ケリーが立っていた。
アリスと同じように、正装の彼はまたとても栄えた。
貴族の子息にしか見えない。
「…ケリー、もう一度聞くぞ。」
「ああ?」
「お前、一体何者だ」
「さあ、何だと思う?」
「…王の落胤とか」
「この国の?」
「でなければ説明がつかん!」
「まあそれでもいい。とにかく準備はしておけよ」
「おい、お前は!?」
「見てわかるだろう、夜会だ」
当然のようにそういい置いてケリーもひらりと露台から消えた。
アスターはしばらく状況が飲み込めず呆然としていたが、我に返って慌てて旅の仕度を始めた。
屋敷の裏に当たるこの部屋から普段見えるのは広い庭ばかり。
しかし今日は違った。
一階からは光とさざめく音が聞こえてくる。
ホールはこちら側にまで続いているのだろう。
開放された扉から庭に躍り出てくる者が時々姿を見せる。
優雅に散歩を楽しむ者、酔いを醒ます者、逢引場所としても活躍しているらしい。
準備を万端にして、もう病人の振りをする必要もなくなったアスターは露台からその様子を覗いていた。
上を気にするものはなく、よってアスターの姿が誰かに見咎められることもない。
緊張とは長く続くものではない。
傭兵たるもの緩急をうまくコントロールできなければやっていけないもの。
アスターは力を抜きすぎず入れすぎず来たるべき時を待ち構えていた。
夜会も佳境に入ったのか、庭から人影が消える。
脱出するなら今だろう。
そんなタイミングで男女が手を取って庭にまろび出てきた。
今までとは違い、二人は少し距離を取って互いに向かってお辞儀をした。
それから男は背筋を伸ばして彼女の手と腰を取る。
ホールから漏れ聞こえてくる音楽。
それに合わせて二人は踊る。
くるくるくるくる。
軽快な足取りが、二人の実力を教えた。
アスターは音もなく露台を飛び降りる。
小さな笑い声が耳に届く。
少女の、心から楽しそうな声。
曲の終わりに、少女は相手にしがみ付いた。
離れたくないとでも言うように。
アスターのよく知った顔の少年は苦笑して、目の前にあるアリスの前髪をかき上げる。
露になった額に落としたのは唇。
ままごとの様なキスに、額を押さえたアリスが不本意だとふくれた。
だが、今度は素直に身を引く。
一歩、二歩、三歩。
後退って、アスターに声をかける。
「アスター様、さあお行きになって」
どうやら最初から覗いていたことはばれていたらしい。
「楽しい時間でした。」
アスターに向けられた顔はまだ寂しさを残して。
「ケリー様、ありがとうございました」
ケリーに向けられた感謝には憂いはない。
何となく、彼女の優しい少女時間は終わったのだと思った。
もしかしたら彼女は自分で決めていたのかもしれない。
終わりの時間を。
「旅のご武運をお祈りいたします」
闇に浮かぶ白いドレスと、穏やかに微笑むアリスは感じたことのない凛とした気配を纏う。
上に立つ者の風格と、強かさ。
いつか、大貴族ミルベールの名を背負う娘がそこにいた。
「姫様も、お気をつけて」
アスターはそれしか言えなかった。
もっと言うべき事はあった気がするが、言葉にならない。
ケリーなら上手いこと言ってくれるだろうと思ったが、予想に反してケリーは最後に笑みを残して、言葉を残さず、踵を返してしまった。
振り向かず、闇に紛れる。
「ケリー!」
「アスター様も早く行ってください」
「しかし」
アスターの、先を言わなかった言葉をアリスは正確に理解したようで、いいのだと答えた。
「お気になさらずに。ケリー様は言葉以外の多くを残してくださいましたわ」
さあと促されるままに、アスターも足を踏み出した。
穏やかな微笑の最後にアリスは言った。
「アスター様、どこかでお会いした時には、このアリスのことは忘れていてくださいませ」
胸が痛んだのは、自由を手放した娘が哀れだから。
アリスの手配した脱出路は完全に機能し、二人は一度の危険に晒されることも見咎められることもなく外に出られた。
振り返った屋敷は城の様に大きく、夜の闇の中に厳然とした存在を主張していた。
「ケリー、良かったのか」
「何が?」
会話を逸らすように返したケリーに少々腹が立ってアスターが憮然と言う。
「姫様だよ。」
「はん、言いたいことがわかったぞ。攫って来いということだな」
けらけらと笑い声が闇の中で響いた。
「茶化すな」
「いや、アンタがそんなことを言うとは思わなかったからな」
まだケリーの忍び笑いが聞こえた。
「そんなに気になるならあんたが引き返して連れてこればいいだろう」
言われてアスターは想像した。
自分が取って返して、一緒に逃げようと言ったとして、彼女は絶対に来ないだろう。
そんなこと明白すぎる。
「だがお前が言えば…」
彼女は来るのではないか。
「俺が?何故そんな意味のない事をしなきゃならないんだ」
「意味がないって」
「ないだろう?」
当然のように聞き返された。
「望まれてそこに居て、望まれたように生きようとしている。幸せなことだろうが」
「どこがだ!自由を奪われて、それしか選べなかったらそうせざるを得ないだろう!?」
「アスター、アリスには決められた道がある。そしてそれ以外は許されていない」
宥めるような声でケリーが言った。
「だから!」
「アスター、お前は何か勘違いをしていないか?許されていないからやらない、それも選択の一つだろう」
思わず意気込んだアスターにケリーは諭すように、子供にするように言い聞かせる。
「あれはやると決めた。覚悟も決めた。もしかして同情でもしたのか?」
ぐっと詰まったアスターを、前を走るケリーがちらりと振り返った。
「望まれて、そう生きて、何故それを邪魔しなきゃいけないのか、俺にはわからないな」
「なら!アリスがあそこを逃げ出したいと言ったらお前は手助けしたのか!」
「…いんや、しないね。」
「この!」
人でなし!とでも言われるかと思ったが、アスターは言わなかった。
かわりに聞いた。
「お前が手を貸すとしたら、どんな時だ?」
「そうさな、俺を利用しようとした時かな。」
「はあ?」
覗き込んだケリーの横顔は笑っていた。
どうやら彼特有の冗談だったらしい。
毒気を抜かれてアスターは深いため息を吐いた。
今更、アリスに言っておくべきだった言葉を思いついてしまった。
ただ単純に。
頑張れ。
そう言えばよかったのだ。
ケリーを冷たいと思った。
だがアリスにとっては違ったのだろう。
冷酷にも見える、厳しさと強さと優しさ。
それはどうやって身につけるものだろうか。
「やっぱりさ、お前どこかの御曹司じゃないのか?」
ケリーの答えはくつくつとした笑い声だった。
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50万打リクを書いていたら思いついた横道話。
結局何が書きたかったんだろう。
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