「ケリー。」
「ケリー!」
「ケリー?」
ぴーぴー鳴く雛のようだ。
あの日から一転。
人の後をついて来る小僧どもにうんざりしながらケリーは振り返る。
途端嬉しそうに顔を輝かせた彼らを見て、ケリーは文句の一つでも言ってやろうと思っていた口を閉ざす。
まだ子供とはいえ性別は男。
嬉しくない。
可愛くない。
鬱陶しい。
それでも憎めない。
諦めてケリーは歩き出す。
その足取りはどこか重い。
「あんたにつきまとわれる方がまだいいぞ、女王。」
ぼそりと呟かれた台詞を聞けば彼女は笑うだろうか、怒るだろうか、どちらにしてもまさか彼女の反応を恋しく思う日が来るとは思っても見なかった。
「じょうおう?」
「ケリーってやっぱり…」
「噂は…」
ケリーの呟きを聞きつけて後ろの連中がひそひそと話し出すのを気にも留めなかった。
いつものことだからだ。
一匹狼をしていた時も今も状況は変わらない。
しかしこの時もっと言及しておけばよかったと珍しくケリーは後悔したのである。
「どおも〜」
「おう、ケリー」
気の抜けた挨拶をしながら入って来たケリーに長椅子に体を預けたままの気の抜けた格好でイヴンが迎えた。
「き・さ・ま!何度言えばわかるんだ、口の利き方に気をつけろ!!」
と、怒り狂っているバルロはいつもの如くさらりと無視してケリーはイヴンが幅を利かせていた長椅子に無理矢理座り込む。
イヴンが何だよと眉を顰めながらも場所を空けた。
「ケリーどの、学校の方はどうだ?」
「いやはや、なかなか苦労してるよ」
「ほう、そのふてぶてしい態度で歩き回っているかと思ったが、中々どうして、うまくいっていないとは、これは愉快!」
バルロが心の底から楽しそうに笑う。
それを半眼で見やって、ケリーは一つ大きなため息をついた。
「ケリー?何だ、お前本当に苦戦してるのか?」
お前が?
そんな意味を込めてイヴンがケリーを覗き込む。
「いや、ひよこがな。」
「は?ひよこ?」
「ああ、ひよこだ。ひよこじゃあ踏みつけるわけにもいくまい?」
ピヨピヨとさえずられると戦意も根こそぎ奪われる。
「ダニエルが増殖してるみたいだぜ。まいった。」
「ダニエル?」
「俺の息子だよ。」
「「「……………」」」
ウォルとバルロとイヴンで交互に顔を見合わせて、聞き間違いだろうと結論付けた。
それに気付かずケリーはぐったりと長椅子に懐く。
「悪いが休ませてくれ。あそこじゃひよこの世話でおちおち目も離せない。」
「…奴は生き物係にでもなったのか?」
「さあ、聞いてませんがね。」
「なるほどなるほど、ケリーどのと貴族の子息達では器が違うということだろう。」
一人王が納得しながらしきりに頷く。
「しかしそれならやはりケリーどのは宮廷で預かるべきだったかな?」
「陛下、それこそ無理ってもんですぜ。こいつあ俺と同じでこういったところは性に合わないと思いますよ」
「そうかな。案外うまくやるような気もするが。」
「従兄上、どこを見て言ってるんです?このくそ生意気な小僧、宮廷じゃあっという間に干されるのが目に見えてますよ。あの学校程度で苦労している程度じゃ、その器もたかが知れてるってものでしょう」
ふんっと鼻で笑って馬鹿にしたようにケリーを見るバルロだが、ケリーが何の反応も返さないのを見るとつまらなさそうにその舌鋒を収めた。
タイミングよく食器の割れる音が響く。
「ポーラ?どうした」
「い、いえ、手を滑らせてしまっただけです。ああ、陛下お気を使わずに!」
扉の前で持ってきた茶を食器ごと落としたらしいポーラを気遣いウォルが腰を上げたが、ポーラはそれを押し留める。
「どうなさいましたか?」
バルロが目敏く聞く。
こんな風な失敗をしないひとではないが、もしもこんな場面になったら、彼女は大慌てで顔を赤らめながら謝り倒すはずだ。
それが少し青ざめた顔で、割れた陶器を拾う手は小刻みに震えていた。
「ポーラ?」
「何だ?」
ウォルもそれに気付き、おかしな雰囲気にケリーも体を起こす。
ポーラと目が合ったのはそのケリーだった。
「俺か?」
「いえ、何でもございません。ケリー様が宮廷にお入りになられるという話を漏れ聞いてしまいまして」
その話が何だというのだろう。
戯れに話していたその話題のどこに食器を取り落とすほどの衝撃が潜んでいるのか。
ケリーは首を傾げた。
「噂は本当だったのかと…」
噂?
つい最近もそんな言葉を耳にした覚えがある。
あのひよこ共だ。
彼らのひそひそと話すその中によくその単語は紛れていた。
「ああ、誤解なさらないで下さいませ。本当だったとして私は喜びこそすれ、皆が言うように疎んだりは決して致しません。そんな畏れ多いことが何故私に出来るでしょう。それだけはどうか憶えておいて下さい。私は、ケリー様を心から歓迎します。」
怒涛のような勢いで喋り倒し、気が済めば一つお辞儀をして去っていってしまった。
ケリーの頭の中には疑問符が飛んでいる。
「どういう意味だ?」
さっぱり訳がわからずに、助けを求めて居座っていた男三人を見渡すが、その誰もがケリーと同じように怪訝な顔をしていた。
ことの真相がわかったのはそれから幾日かを経てだった。
その、噂が広まるに十分なタイムロスを男達は大いに悔やんだがそれはまた後の話。
王とその友人が面白がって、嫌がるケリーを舞踏会に伴ったのがきっかけだった。
窮屈な服装を見て渋るケリーを宥めすかして、何故か自分も巻き込まれてお供することになってしまったイヴンがいまだに納得いかないような顔で唸っている。
「不本意だ。」
「いい加減諦めろよ」
自分ひとりが犠牲にならずに済んだことで幾分機嫌がいいケリーがイヴンに最終宣告。
「もとはと言えばお前が俺を巻き込んだんじゃねーか。」
「そりゃあ、他人事みたいな顔で面白がってるのがいけない。」
軽口を叩いて、王と共に広間に足を踏み入れた。
ケリーとしては本当に軽い気持ちだったのだ。
イヴンもそうだろう。
バルロにしてもせいぜい恥をかけと言い残して舞踏会に送り出してくれたくらいだから、いつもの軽い遊びの延長線のノリだったはずだ。
しかしざわりと不穏に揺らめくというよりは、いっそ歓声にでも似たどよめきにケリーは思わず足を止める。
「…おい、いつもこうなのか?」
「……んなわけがあるか。何なんです、これは陛下。」
小声で前を歩く王に声をかけても明確な答えは返ってこない。
王が席に着いて、開会の挨拶をしているときも、会場中がどこか浮き足立っている。
その視線の先は明らかに一人の少年。
「ケツのすわりが悪いな、おい。」
思わずぼやきたくなったのも仕方がない。
「一体何をやったんだ、ケリー」
「記憶にない。」
ここに来てからまだ数ヶ月。
心当たりはまったくない。
王がその役目を終えて席に座ると次々に客達が挨拶に来る。
そのどれもがちらちらと自分を観察するような目を向けていくのにうんざりしながら、いくら乗せられたからと言ってこんな場所にのこのこと出てくるんじゃなかったとケリーはため息をついて、つでに隣のイヴンに小突かれた。
この気分は最近よく味わっている気がする。
あの学校の中で。
ひよこが人を見て同じように話しに花を咲かせていた。
もしかしたらあれもこれと根は同じではないのか。
今更ながらケリーは気付いて、帰ったら即行問い詰めてやろうと決心する。
しかしそうはならなった。
好々爺然とした、しかし目の中に嫌な色を瞬かせるジジイが王の挨拶に来た。
彼自身はどうでもいい。
言った内容が問題だった。
「ほう、この場に伴ってきたということはやはり噂は真実だったと受け取ってもよろしいのでしょうな」
でた、また『噂』だ。
その噂を知らないためウォルは曖昧に笑うしかない。
「いい加減彼を我々にも紹介していただきたい。」
おいおい、何で俺がこんな公式の場で紹介されなきゃならんのだ。
とは、ケリーの心の声だ。
その時まではまだ事情を知らない誰もが暢気だった。
暢気すぎたと言ってもいい。
「噂が本当ならば彼が第一王位継承者なの…」
「誰が!?」
ジジイの言葉を遮ってまでも咄嗟に反応出来たのはケリーだけだった。
イヴンは耳の調子がおかしいと公衆の面前で耳をほじってみる。
王は一度天井を見上げて、さすがの面の厚さを発揮して穏やかな笑顔付きで聞いた。
「もう一度言ってもらえるかな。」
「で、ですから、彼がデルフィニアの次期王の第一候補だともっぱらの噂で…違うのですか?」
「「「…………」」」
金色狼よ、ここは色々とぶっ飛んだ世界だな。
ケリーは額を押さえて呻いた。
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実はもっと驚く理由でもって第一王位継承者なんですよ。
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