寄宿舎は個人部屋もあったが圧倒的に複数部屋の方が多かった。
多くて四人。
ケリーの部屋はその四人部屋だ。
ベットに寝転がって、油で燃える灯りを燈す。
原始的な光がケリーは嫌いではない。
ちらちらと伺うような目線にはもう慣れた。
言いたいことがあるならはっきりといえばいい。
言わないなら、ケリーにとってはないも同然のことだ。
気にした様子もなく暢気に本を開く。
ちなみに、複数人数の部屋にはやはりいい場所というものがあって、窓側の、扉から入って右側が人気だ。
大抵はその部屋で一番良家の子息が陣取ることになるわけだが、まさしくその場所にケリーは寝転がっている。
事情を知ってからは、平等精神の建前すら崩れだしているとため息をついたものだ。
ケリーは別にここがいいと主張したわけでもないが、その場所の主が勝手に譲ってくれたので有り難がるでもなく、我が物顔で使わせてもらっている。
たまの休みには王宮に顔を出し、王やその側近達とともに王の妻が入れてくれた茶を啜る日々。
イヴンとは最近結構気が合うことが判明し、時には寄宿舎を抜け出し二人で遊びまわることもある。
この頃は勘のいい公爵殿に気付かれる気配があったので控えていたが、そろそろ静かにするのにも飽きてきた。
イヴンとの付き合いも面白かったが、一人で探索する町も悪くはない。
度々部屋を抜け出すケリーに同室の三人は気付いていたが、注意されたことはない。
というのも、三人はケリーが抜け出すことは知っていても、いつどうやって抜け出しているのかまったく知らないからだ。
この部屋は三階。
廊下には見回りの教師や念のために待機している衛兵がいるため、彼らは抜け出そうと思ったこともなく、また抜けだせるものだとも思っていなかったのである。
四人部屋なだけあって伯爵級の良家はいない。
彼らはそれなりの家の子息達だった。
そんな彼らから見れば、ケリーはあまりにも自由で理解の範疇を超えて不気味ですらある。
同時に一つの世界しか見えていなかった彼らの何かを刺激する厄介な存在でもあった。
そう、最近の彼に対する態度は、当初の様子見を伴った反感からの変化を見せている。
大抵は反感から端を発した強い敵視と、あるいは羨望交じりの憧憬。
二分された反応の前者は上級貴族、後者は下級貴族が主だった。
たった三ヶ月で、知識は彼らをごぼう抜きにして、一人を恐れず、わが道を往く彼はあまりにも眩しすぎた。
一人で壁を越えるよりも、誰かを使う事を覚え、言葉の裏の読み方を教わり、浮き沈む家の存亡をかけた策謀に身を浸してきた上流貴族にはケリーの存在は心をかき乱す目障りな存在にしかなり得ないのだろう。
同じく下級貴族たちは近づきたいけど近づけないジレンマで、結局ケリーの平穏な生活は今も続いている。
そんなある日のことだ。
とある授業が始まった。
貴族たるもの身につけていなければならない教養の一つ。
「ほう…」
ずらりと並べられた本物の剣にケリーは感心した様に見入る。
同じようにお坊ちゃまお坊ちゃましていてもやはりもとの世界とここの子供達は違うらしい。
元の世界の学校もなるべく本物に触れさせる(自然学習にしろ様々な実習にしろ)ようにしていたが、さすがに真剣は置いていなかった。
しかしここでは貴族として、武器を持つことは一種のステータスになっているようだった。
騎士なんてものがいて、華々しい功績を残しているようだからそれも当然といえば当然なのかもしれない。
当代きっての名門、サヴォア家のバルロがその頂点にいること、また下級貴族ながら騎士団長を勤めるナシアスの影響も大きい。
そういうわけで、上級下級に関わらず、少年達は強さに憧れを抱き、授業にも大いに身が入る。
あの口うるさい男と苦労性の美人が憧れ、ねえ。
確かに見目もいいし、実力もあるんだろうが、王馬鹿が度を過ぎている事を知っているのだろうか。
ケリーは苦笑しつつ少年達を生温かく見る。
早速自分の使い慣れた剣を手に取り、練習に入る生徒をよそ目にケリーは教師に呼ばれた。
「君は剣を握るのは初めてだったね。」
何故知っているのか、どうせバルロらへんが余計な事を吹き込んだのだろう。
練習に集中していたはずの生徒がざわりとしたのには気付いていたが、ケリーは素直に頷く。
親切丁寧に持ち方から振り方まで教えてくれる通りにやってみる。
ナイフとは大分勝手が違う。
それなりに長さのある剣を少々窮屈に感じるのはまだ体が成長していないためだろう。
「さあ、これで基本の動きは教えた。次は誰かを相手に実際に振ってみるといい。」
早いな、おい。
とは思ったが、それは一般的な意見であって、多分自分ならそれも問題はないだろうとやはり素直に頷いておく。
教師はその反応に少しだけ目を見張った。
おいおい、試しただけか?
ケリーは呆れたように肩を竦める。
確かに初めて剣を握った人間に直ぐにそれを振らせるのは危険極まりない。
ほとんどの人間は基本すら覚えられずに終わる一日目。
それも当然。
技術というのはひたすらの反復練習によって向上していくものだからである。
教師は当然のことそれを知っていた。
言ってみたのは彼があまりにも簡単に教えた事を吸収していくからだ。
少々ぎこちなくはあったが、初めてにしては上出来を通りこして脅威だ。
それでも教師として素人に無茶をやらせるわけにはいかない。
先の発言を冗談だと取り消そうとしたが、その前に生徒の発言に遮られた。
「では僕が相手をしますよ」
にやりと笑いながら名乗り出たのはよくよくケリーに突っかかってくる少年。
ダミアンよりは劣るが、多分それに次ぐ家名を持っているんだろう。
取り巻きも多い。
ケリーが相手にしないためそのほとんどは空振りに終わっているが、ここぞとばかりに勇む。
教師が苦い顔をした。
「大丈夫ですよ、センセイ。基本の型を流すだけでしょう」
ケリーが何でもないように言う。
ケリーが浮いているのは知っている。
ケリーに生徒が反感を持っているのも。
そして彼らの意図もあからさま過ぎて気付かない方が無理だ。
幼い頃から手習いとして剣を握ってきた人間の差は大きい。
対して素人には型を流すのだって難しい。
どうしたって敵わない彼にここでひと泡吹かせてやろうとでも言うのだろう。
「いや、やはり駄目だ。」
やめなさい。と続けようとしたが、ケリーはすでに前に出ていて、無言で後ろ手に手を振る。
大丈夫だって。
そう言っているようにも見えた。
「いい加減、ウザったくてね。」
害はないが、目の前を飛ぶ蝿は目障りだ。
呟かれた声を拾って教師は思わず黙る。
小さく、口元に刷かれた笑みに、何故かぞっとした。
「一の型から順でいいよな」
それ以外には教わってもいないのだから同然だが、生徒はそれをわざわざ聞いてくる。
幾人かがくすくすと笑っているのが聞こえた。
言葉にすればそんなことしか出来ないのかといったところか。
「といっても、僕もまだまだ修行中の身だから、もし手が滑ったりしたらごめん。」
つまらない脅しだ。
「問題ない。俺の手の方が滑る可能性が高いわけだしな。何せ、素人だから。」
にやりと笑って挑発してやれば簡単に引っかかって顔に朱が刷く。
同じく生徒の合図で二人の体が同時に動く。
決まった動きを繰り返す型の演技にそう危険はない。
「へえ」
思わず漏れた声に幾人かの反ケリー派が睨む。
慌てて口を閉じるが、驚いているのは向こうも同じだろう。
初めてとはとても思えない動きは流れるよう。
躊躇ない剣の切っ先は美しく、感嘆に値する。
「あ」
今度は幾人かの声が上がった。
ケリーの頬に一筋の線。
「悪い」
口の端を上げながら謝る。
まったく悪いと思ってはいない態度にも怒らず、ケリーは傷付けられた頬を上げた。
「甘いな、少年。」
敵意を向けられて反撃することに躊躇うような人間ではない。
自分のような人間に傷をつけるには覚悟が必要だと、彼は知らないのだろうか。
だからやる時は徹底的にやらなければ、自分は当たり前に牙を剥くというのに。
ひゅっと音が聞こえた。
剣が空を切る音。
型をなぞる事をやめた剣が揺らめく。
教えられた姿勢や動きを無視して、気負いのない体勢。
はらりと散った自分の幾本かの髪の毛の行方を目で追って、生徒は奮起する。
「ふざけんな!」
渾身の一撃だったはずが、ケリーは余裕の顔でひょいっとかわす。
軽く振るった剣に当たれば、ずしんとした重さに耐え切れず、剣を手放す。
手首の痛みに呻いて、剣が床に落ちるからんと渇いた音で顔を上げる。
「ひっ!」
目の前には剣の切っ先。
少しでも動けば喉を傷付ける。
ケリーの目には感情というものが見えなかった。
初めて恐いと思う。
殺される!!
「そ、そこまで!!」
教師の声が場違いに響いた。
ごくりと鳴らす喉を、目を細めて見て、ケリーはあっさりと剣を引いた。
ほっと息をつけば薄れていく恐怖。
何事もなかったかのように後姿を見せて去る彼に思わず文句の一つも言いたくなった。
「剣を握った事がないなんて嘘じゃないか、卑怯だぞ!」
くるりと振り返るケリーに体を強張らせたのはもう反射だ。
「嘘じゃないぜ、俺は剣『は』握った事がないって言ったんだからな。」
悪戯が成功した子供のように笑ったケリーに毒気を抜かれて何かがどうでもよくなった。
「詐欺だ、ほら吹きだ!騙された!」
はっはっはと笑いながら流すケリーに思いつく限りの文句を言ってみる。
もう、何故か負けたことに腹は立たなかった。
彼の目には明るい色があって、あの恐怖を感じないからかもしれない。
「あーくそ、腰が抜けた!手をかせよ、ケリー!」
back top next
いつかは本筋に戻るはず…
|