嫌なことが二つほど。

一つ。

ロアは城からそれなりに距離がある。
つまり行くには馬で行かなければ行けないということ。

ケリーは慎重に馬を操りながら道中を行く。

もう一つ。

「なんであんたらまで一緒なんだ?」
「いやいやいや、君が心配でついて来ただけさ」

バルロの満面の笑顔はあれだろう。
ただからかいの種を見つけられた嬉しさだ。

「父上、僕ケリーの馬に乗りたいよ」
「いかんな、ユーリー。それは危険極まりない」

バルロの馬に同乗しているユーリーはバルロの嫡子だ。
ウォルの息子共々、王位継承者としては一番近い場所にいる。
ケリーは状況的には彼らと王位を争っているわけだが、馬鹿らしいことだ。

そのユーリーだけでなく、ケリーはウォルの息子と、ユーリーと双子セーラに妙に懐かれている。
ユーリーはケリーと久々に会えたことが嬉しいらしく、先ほどから父親よりもケリーに気を取られている。

「まさか馬が苦手とは!デルフィニアの男児たるもの馬くらいは立派に乗りこなせなけりゃならんぞ」
「お父様、ケリー様には相性のいい馬がいないだけですわ」

シャーミアンとドラ将軍。
まさか、ケリーがなあと呟きながら、しげしげとケリーを見るイヴン。

「ロアならきっといい馬が見つかりますよ、ケリー様」

にっこりと笑いかける顔は非常に魅力的だったが、これであのイヴンの奥方だという。
世の名不思議なこともあるものだ。

最近鬱屈していたケリーはシャーミアンの誘いにすぐさま乗った。
あるいはこの状況を見越してあの王が気分転換にと提案してくれたのかもしれない。

ロアまで行けばいいのかと思ったら、同行者が思いのほか多く些かのんびりとした道中になった。
というか、これは乗馬が苦手とレッテルを貼られてしまったケリーに対する配慮だ。

ぱっと見、ケリーはそれなりに馬に乗っている。
しかし幼い頃から馬に慣れ親しんできた周りの人々が見ればこの、肩に力の入った状況は苦笑そのものだ。

それでも何とかロアにたどり着いた。
ロアは馬の産地だと聞いていたが、なるほど馬を育てるにはいい土地だった。

天気にも恵まれ、そこかしこで美しい馬たちが草を食んでいた。

なるほど、これなら本当に自分が乗れる馬が見つかるかもしれない。
学校で授業に使われていた馬たちとはケリーの目から見ても一目瞭然でその差が見て取れる。

ユーリーが早速自分用にドラ将軍に馬を選んでもらっている。
今年で六歳になるユーリーもそろそろ剣を取り、馬に乗り始める頃だった。
バルロはケリーをからかいついでにユーリーの馬を調達に来たらしい。

「うっわあ!見て!」

馬を恐がりもせずに見てまわるユーリーはさすがバルロとロザモンドの子だった。
そのユーリーが歓声を上げた。

感心したように馬場を見ていたケリーもユーリーの声につられて顔を上げる。

「まあ、珍しい。黒主だわ」

シャーミアンが喜びの混じった声で遠く、かすかに見える馬を指して言った。
その声に働いていたロアの人々が集まってくる。
感嘆の声を上げて魅入る人々の目には誇りが見えた。

「黒主?それがあの馬の名前か?」

いまだに遠い場所にいてもその威風堂々たる姿は賞賛に値する。
他の馬より大きく、貫禄すら漂う立ち姿。
なるほど主と呼ばれるに相応しい馬だった。

「私達はそう呼んでいましたけど、ある方はグライアと。」
「金色狼か」
「よくお分かりですね。」

グライアといえばあの天馬。

「金色狼らしいネーミングだ。」

小さく笑ってケリーは遠く佇む黒い馬を眺める。

「最近は姿を現すこともなかったのですが、案外ケリー様の匂いを嗅ぎつけたのかもしれませんよ」

バルドウの娘と故郷を同じくするただ一人の人間。
懐かしい匂いに出てきたのかもしれない。

「それは悪い事をした。」

彼がリィの友だったとしたら、それはとても会いたかったに違いないのだから。
ケリーは肌身離さずに持っているリィの指輪を無意識に探る。

「がっかりしてなきゃいいんだが。」

冗談に紛らわせて、笑いに変えるとユーリーが駆けてきた。
もっと近くで見たいのだろう。

「すごいよ!」

まだ幼いのに、馬を見る目は確かだ。
故郷の同年代の少年達が彼の馬を見ても価値など判りはしない。
しかしユーリーは興奮を交えながらはしゃぐ。

「ユーリー様、それ以上近づいてはなりませんよ」

シャーミアンが軽くたしなめる。
まだ大分距離があったが、それがロアの人々と黒主の距離だ。
ユーリーは馬を見る目はあっても、その距離を掴むことはまだできなかった。

「何で?僕あの馬に乗りたい。」

貰って帰るなら絶対にあの馬だ。
セーラにきっと羨ましがられるに違いない。

ロアの人々ばかりではなく、バルロやイヴンも苦笑する。
それは無理な相談だった。

しかしやんわりと無駄だと言われても幼いユーリーに理解できるはずもない。
懸命にユーリーを宥める騒ぎを聞きつけたのか、黒主が耳を立ててこちらを見ていた。
目が、あったような気がした。

妙に静かなケリーを不思議に思ってシャーミアンが呼びかける。
ケリーは珍しく真剣な目で黒主を見ていた。

「ケリー様?」

じっと黒主を見るケリーもよそ者だ。
ユーリーと同じく暗黙の了解を知らない人物だった。

「ケリー様も黒主が欲しいとお思いに?」

シャーミアンの声にはっとケリーは黒主から目を離した。
それからシャーミアンに言われた内容を頭に浸透させて笑う。

「あれは王だ。誰の下にもつかない馬だろうさ」

短く、合わせた目がそう言っていた。

シャーミアンが目を見張ってケリーを見る。
その目には賞賛の色があった。

「やってみなくちゃわからないじゃないか!!」
「ユーリー様!?」
「ケリー、ユーリーを止めろ!!」

言われた時には横を小さな体が通り抜ける。
ユーリーは真っ直ぐに黒主に向かっていく。

ケリーは反射的に手を伸ばしたがこんな所で弊害が出た。
本当だったら捕まえられたはずの首根っこは手をすり抜ける。

短くなっている腕に思わず舌打ちをした。
迷わずに後を追うが、こういうときに限ってすばしこい。

ユーリーは真っ直ぐに黒主を目指す。
黒主は微動だにせずにこちらを見ていた。
耳だけがぴくりと動く。

絶対に乗りこなして見せる。
その支配しようとする心。

黒主の目に何かが瞬いたような気がした。

まずいぜ。
ケリーは珍しくも焦った。

黒主の目に宿った、それは怒りだ。








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ケリーvs黒主  いやいや、ないから(笑)