「ユーリー!とまれ!」
あの大きな体ほどではないが、今のユーリーとケリーにもそれなりにコンパスの差がある。
ケリーは配慮している場合じゃないとがしっとその襟首を掴んだ。
「うわ!何するんだよ、ケリー!」
何をしているのかと、聞きたいのはこっちの台詞だ。
黒主に向かっていくなんて自殺行為も甚だしい。
「ケリー!ユーリー!!」
バルロの声だ。
腕の中でじたばたと暴れているユーリーを叱るのは彼の役目だろうと、ケリーはふくれているユーリーをたしなめもせずにホールドしておく。
しかしバルロの声は怒っているというよりは焦っているような響きがあった。
一通りユーリーの無事を確かめていたケリーは疑問に思って顔を上げる。
バルロが何か叫びながら後ろを指していた。
「なんだあ?」
ケリーに後ろから羽交い絞めにされて、ぐずっていたユーリーが言葉もなくケリーにぎゅっと抱きつく。
ケリーは後ろを振り返る。
「おいおい、冗談」
見えたのは駆けてくる黒主の姿。
あっという間にその巨体が近づく。
「ケ、ケリー」
どう考えても人間の足では逃げ切れない。
それでもってあの頑丈な足で踏み潰されればユーリーどころか、体が半分以下に縮んでいるケリーだってひとたまりもない。
ユーリーはやっと自分の失敗に気付いたようだ。
失敗は成功の母。
何事も失敗して学ぶ。
けだし、名言である、が。
「随分と高い勉強代だ。」
ケリーは逃げるのを諦めてユーリーを抱え込む。
よけられるか?
一か八か。
黒主の前足が高く上がった。
見上げる山のような迫力だ。
それをケリーは目を逸らしもせずにタイミングを計る。
「ユーリー様!」
「ケリー!!」
思わず目を覆う。
絶対の悲劇を予測して。
しかしそうはならなかった。
「おい、どうなってんだ」
戸惑いを大いに含んだイヴンの声にシャーミアンは恐る恐る目を開ける。
黒主は堂々と立っている。
ケリーも、無事にそこにいた。
当然、ケリーの腕の中にいたユーリーも。
ユーリーはいまだにケリーにしがみ付いたまま顔を上げないが五体満足だ。
「よかった!」
思わず安堵の息を吐いたが、目を瞑っていたため一体何が起きたのかさっぱりわからない。
黒主は足を振り上げたが、彼らを踏み潰しはしなかった。
そしてそのまま、何かおかしなものでも見たかのように怪訝な目でじっとケリーを見詰める。
二人と一匹はじっと睨みあったまま動かない。
正確にはケリーと黒主の、一人と一匹だ。
しばらくそうして、何が起こっているのか理解できぬまま近づくことができない人間たちに気付くと、それを一瞥して黒主はふんっとばかりに背を向ける。
どうやら助かったらしい。
「ケリー一体何が起こったんだ。」
黒主が十分離れたのを見て、イヴンたちが近づいてくる。
「さあ?」
安心させるようにユーリーの背を叩いて、顔を上げたユーリーが父親の姿を認めて泣きながら駆けていく。
「さあって、お前。黒主には何人も怪我をさせられてるってのに。」
「ただの脅しだったんじゃないか?近づくなって。」
暢気にケリーが笑う。
大の男が腰を抜かすような経験をしたというのに、この図太さはどこから来ているのか。
嘶きが聞こえた。
皆が振り返る。
去ったはずの黒主が草原の真ん中でまたこちらを見ていた。
「どうしたのかしら?」
まるで何かを待つように、黒い目がじっと一点を見詰める。
「ケリー?」
不自然に身動ぎしたケリーをバルロが呼んだ。
ケリーのそれは答えになっておらず、バルロにも伝わらなかった。
「悪いな、ちょっと行って来る。」
意味を考えている間に、ケリーはもう走り出していた。
「何を!ケリー!!」
先ほどと同じ光景に誰もが目を見張る。
ケリーはユーリーとは違って分かっていると思っていただけにそんな行動を起こすとは思わなかったのだ。
驚愕の声にケリーは振り返って手を振る。
大丈夫だと、今までに見たことのない満面の笑みで。
黒主がまた嘶く。
早くしろというように。
「駄目よ、ケリー!!」
黒主は孤高の王だ。
しかしケリーは躊躇いもなく、小さくなった体で黒主に駆け寄る。
手が届くその時まで黒主は大人しくしていた。
黒主が不意に大きく動いた。
「ケリー!?」
しかしその時にはケリーは馬上にいた。
その鬣を掴み、元の体よりも高い光景に笑う。
ケリーが何を言うよりも前に弾丸のように黒主が駆け出していた。
あっという間に景色が変わる。
草原を抜け、森を駆け、岩山を跳んだ。
高揚が身を駆ける。
グライア、もっと、もっと速くだ。
風を切る音が聞こえた。
飛ぶように駆ける。
空気が突き刺さるように痛い。
それでもケリーはもっと、と望む。
地上も悪くない。
だが、そう。
飛ぶことは息をするより当たり前。
空こそが生きる場所。
『キング・ケリー』
そう名乗って、その反応は予想通りといえば予想通り。
むしろそうだろうと思っていたから、そんな戯言も言ってみる気になったのだ。
きょとんと目を瞬かせるこの世界の知人。
曰く、
「で、『キング』って何?お前の苗字ってクーアじゃないのか?」
ケリーは小さく笑って、答えなかった。
「お前、子供のくせしてその笑い方やめろよな。」
イヴンが居心地悪そうに頭を掻く。
それこそケリーは大きく笑った。
黒主は王だ。
しかしケリーもまた王だった。
黒主と同じ、自由の王だ。
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リィファンの方、怒らないで。所詮ただの創作なんで。
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