「ケ、ケ、ケリー!?」
何がどうなっているのだ。
わけがわからない。
「はっはー!無事かダミアン!!」
いつも、いつも、彼は予想外の展開を運んでくる。
「…危機一髪、だったけどね」
「それだけ軽口が叩けるなら上等だよ」
からからと笑うケリーの陽気さに誘われてダミアンがゆるゆると笑む。
何が起きたのか、見ていても理解は出来ない。
凄惨な光景の中で、ケリーはいつも通り。
ケリーの隣で、血の気を失くした男ががたがたと震えていた。
「一体どこから入ってきたのさ」
「見てなかったのか?」
窓だと指差されてダミアンは呆れてしまう。
「ここが何階だと思ってるの?」
ケリーが肩を竦めた。
「この案内役がそれしか道はないって言うから仕方なく、な」
牢番が口を聞けたなら、よくも抜け抜けと!と怒鳴っているところだろうが、生憎彼に意味のある言葉を発する余裕はない。
ダミアンはへたりこんでいる彼はそういう役目かと納得した。
「まあ、間に合ってよかったよ」
「助けようと思ってたのに、また助けられた。」
「俺を助けようだって?十年早いな」
ケリーがにやりと笑う。
ダミアンの好きな不遜な笑顔。
「く、曲者よ!!誰か!!」
「お?」
甲高い声にケリーが後ろを振り返る。
「血の繋がらない母だよ」
「へえ」
小首を傾げて女を注視するケリーから、守る盾を失った女はじりっと後退る。
顔面蒼白とはこういうことを言うのかもしれない。
「やめて、近寄らないで!化け物!!」
ケリーが目を瞬いているのがわかった。
ダミアンの眉根が寄る。
「助けてくれ!!」
座り込んでいた牢番が女の声に我に返ったのか、ケリーがあっという間に生産した屍を踏み越えて、自分の女主人も突き飛ばして逃げていく。
「あ、逃げたな。命の保障はしてやらないぞー」
ダミアンはちらりとケリーの足元に目をやる。
本当に一瞬のことだった。
風のようにすり抜け、気づけば自分を殺すはずだった男たちは事切れていた。
ダミアンは人の命を奪ったことがない。
だからこんな血の海の情景も知らない。
人があんな風に簡単に死ぬものだとも思わなかった。
何よりも、表情ひとつ動かさずに命を奪うケリーを知らない。
状況を認識した途端にがちがちと鳴り出す歯が止められなかった。
異常だ。
どうしたって、自分にこれだけの光景を作り出すことは不可能だと理解できる。
同じ位の年、同じ位の背、同じ位の力。
なのに。
「う…あ…」
何だこれは、何だこれは、何だこれは。
君は誰?
あまりにも鮮やかな手並み。
屍を見下げる目の冷淡さにダミアンは確かにぞっとした。
死を運ぶ神のように恐ろしく、美しく、何よりもこんな状況で自分に笑いかけた彼。
彼は何が違う。
自分には理解できない別の生き物のようだ。
「ダミアン?」
「ケ、リー…」
怯えはきっと伝わってしまっただろう。
ケリーが苦笑した。
「少し、我慢してろ。目を閉じていてもいい」
慣れた物言いにダミアンは目を見張る。
ケリーが女に向き直る。
「来るな、化け物!!」
母の叫びに我に返った。
ほんの数分前に自分に振り下ろされるはずだった剣を拾い上げる。
ねっとりとした赤い液体に肌が粟立ってもダミアンはそれを離さず、むしろしっかりと握りなおした。
多分無表情に剣を振り上げているだろうケリーの横をすり抜ける。
「化け物はお前の方だ!」
「おい、ダミアン!?」
ケリーの驚いた顔が見えた。
衝撃は腕に響く。
自分の息遣いがうるさいほど耳についた。
「…大丈夫か、ダミアン」
「大丈夫」
母は目を剥いていた。
剣はケリーの小さな当てに逸らされて母の首横に突き立っている。
「どうして止めたの、ケリー」
「やりたくない事を無理にやらなくてもいいだろう」
反論しようとして、ダミアンは確かにそれをやりたかったとは言えないことに気づく。
「でも君はやろうとしただろう?」
「そりゃあ、殺されそうになったんだから当然だ」
あっけらかんとケリーがこの世の真理を語るかのように言い切る。
「やっぱり君はわからないよ」
泣き笑いのような顔で、ダミアンはケリーを見上げた。
人を殺さずにすんだ安堵と、こんな状況ですら手を染められなかった不甲斐ない自分と、何よりも、多分悔しかったのだ。
「まあいいじゃないか。行こうぜ、ダミアン」
ケリーが手を差し出す。
その手が血に濡れていたことに気づいたのだろう、おっと、と焦った様子もなく手を引っ込めようとするのをとっさに掴んだ。
血だらけの彼の手に、何にも染まっていない手を重ねる。
「君は化け物じゃない。俺にとっては命の恩人だ」
ケリーは居を突かれた顔でダミアンを見返す。
「何だ、それで怒ったのか」
ダミアンが母親に剣を向けた動機に思い至ってケリーが呆れたように言う。
「それだけじゃないけどね」
ダミアンの答えに苦笑しながら重ねた手を強く引いた。
立ち上がったダミアンとケリーの視線は同じ高さ。
目の前にあるケリーの目をまっすぐに見て、ダミアンは何か懐かしいものが込み上げるのを感じていた。
遠い日、幼い自分に芽生えた感情。
「ダミアン…」
地の底を這うような声に振り返る。
憎悪に濡れた目が自分を見ていた。
「ダミアン…お前、わたくしを敵に回して生き伸びることが出来るとでも?」
なぜだろう、怯えはない。
あんなにも逃げ続けてきた人だというのに。
「お前!」
ケリーを睨んで母が呼ぶ。
「偽者の王が!いつかその正体を暴いてやるわ!その時に許しを請うても遅いのよ!!」
今、剣の一降りで断ち切れる命だと気づいてもいないように高らかに笑う。
血と権力に酔った哀れな女だと思った。
ケリーに免じて見逃そうと思っていたのに、だが、彼女は聞き逃せないことを言った。
じりっと足を踏み出そうとしたダミアンによく通る声が聞こえた。
「俺は誰にも自分の命を請うことはしない。」
いつも通りに、冷静で気負ったところもない、ただの事実を言うかのような言葉。
目を見張る。
きっと母と同じ顔をしていただろう。
「俺は俺以外の誰にも、支配されない」
戦慄に似たものが背筋を駆け抜けた。
絶句した母に背を向け、ケリーが駆け出す。
「行くぞ、ダミアン」
呼ぶ声に歓喜する。
振り返らない背が誇らしい。
ゆっくりと母に向き直ってダミアンは笑った。
「母上、今決めました。僕はこの家を継ぎます。」
母はこれ以上ないほどに目を見開いた。
「夢が、出来ました。今度こそ、命をかけて掴みたい夢です。」
そのためにはこの家が必要なのだ。
ダミアンはケリーの手から移った赤い色をした手のひらを母の頬に添える。
「たとえあなたでも、僕の邪魔をするのなら許さない」
がちがちと鳴る不快な音は母の歯の根がかみ合わない音だった。
ダミアンはもう一度微笑むとケリーの背を追って駆け出した。
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君が主人公ではないのだよ、少年・・・。
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