「どういうことです、従兄上。」
「どういうことだ、ウォル」

同じ内容の台詞を同時に放って、二人は不快そうに互いの顔を見た。
いつもならここで厭味の応酬になるのだが、しかし今はそれよりも重大なことがある。
お互いの顔に同じ感情を読み取って、こんな時だけまるで息が合ったように小さな頷きの後、当の本人に向き直る。

顔を引き攣らせたのは二対の怒りの籠もった目を向けられたウォルだ。
冷汗を流す王の目が芳しくない状況から逃れるためにきょろきょろと忙しなく視線を動かす。
しかし誰も王に助け舟を出すことも無く、王に迫る二人を止めるものも無い。

「…いや、どうと言われても俺にも何が何だか。」
「従兄上!」
「ウォル!」

諦めたようなウォルの話に内容がないとわかった途端、やはり鋭い一喝が部屋にこだました。
ウォルは大きな体を縮ませてその嵐が過ぎ去るのを待つしか方法を知らない。

「一体、あの、少年は、誰、なんです!」
「何故、誰も、入っていないはずの、お前の、寝所から、血まみれの、人間が、出てくるんだ!」

これも息の合った団結で、一語一語をはっきりと区切りながら二人が身を乗り出すようにウォルに迫る。
そんな事は自分の方が知りたいと言いたかったが、とてもではないが言える雰囲気ではない。

どうすればいいのか、本気で悩み始めたウォルの様子が嘘をついているとは思えず、やっと一人が助け舟を出した。

「本人から聞いた方が早そうですね。」
「そう、そうなんだ、ナシアス!」

途端にウォルがぱっと顔を上げる。

「是非そうしよう、そうと決まったらあの少年を訪ねなければ!」
「王!?」

些かわざとらしくウォルは立ち上がり率先して皆に囲まれていた部屋を出る。

「こら、待て!」
「そうです、まだ聞きたいことがあります、従兄上!」

その後を追うようにバルロとイヴン。
仕方がないというようにナシアスが。
そのナシアスの目線を受けてドラ将軍とシャーミアン。
無言でブルクスとカリン。
アヌア公爵らも後に続く。

本当はわかっていたのだ。
こうしてても何の解決にもならない。
どうしたって彼に話を聞く必要があった。

「しかし、彼は怪我人です」

ブルクスらがウォルに追い着いた時には彼は医務室の前で侍医と押し問答中だった。

「無理はさせない。」
「無理も何も、彼はまだ目を覚ましてもいません」

きっぱりと入室を拒否する響きを持った言葉。

「貴様、王の命に逆らうつもりか」

それにカチンと来たらしいバルロが必要以上の威嚇ですごんだ。

「…怪我人、病人の安全と管理は私の役目です。」

それに怯みながらも侍医は言い切る。

「まあまあ、従弟どの、そう脅かすものではない。あれから我々は一度も彼の顔を見ていないのだ。彼の眠りを妨げることは絶対にしないと約束しよう。彼の無事だけでも確認させてもらえないだろうか。」

王の彼が何故そんな腰を低く頼まないといけないのだと幾人かの顔に不満が見える。
しかし侍医はウォルの殊勝な態度のお陰か、扉の前からどいてくれた。
ウォルは笑って礼を言い、部屋に入る。

部屋の中は清潔な香りがした。
換気のためか、窓が開けられていて、部屋の中を緩く風が廻る。

その真ん中、侵入者に与えられるには豪華な寝台に件の少年は横たわっていた。
寝顔は静かだ。
昨晩のウォルの腕の中で呻いていたのが嘘に思えるくらい穏やかだった。
昨日の惨状を知っているだけにウォルは本当に生きているのか不安になったがその胸が上下するのに目を留めてほっと笑う。

「…これが例の」

呟きには驚いたような、困惑したような色があった。
ウォルはここにいるのは自分ひとりではなかったのだと思い出したように後ろを振り返る。
皆一往に多かれ少なかれ驚きを示していた。

それに苦笑してウォルは少年の顔に目を戻す。
無理もない。

誰が見ても美少年だと言うに違いない顔。
動かない今はよく出来た人形のようだ。
同じ美形でもあの王妃とはまったく雰囲気の違った少年。

きっともう五年もすれば見た目だけで女を誑かす飛び切りのいい男になるだろう。
浅黒い肌は彼の濃い髪の色に良くあっている。
目を開けば、その顔はちょっと冷たく見えるかもしれない。
綺麗に整った端正な顔立ちはそんな事を思わせた。

自分も最初、蝋燭に照らし出された彼の顔を見たとき驚いた。
彼の身体的特徴はもっと南の出身だろうと見当をつけられたが、それを聞く機会はいまだに与えられていない。

彼の全身を染め抜いていた赤い色は綺麗に落とされ、清潔な白の布が左肩と胸にかけて何重にも巻かれていた。
それは心臓に程近い。

「この怪我でよく生きていたのもです。」
「助けたのはそなただろう、よくやってくれた。」

いつの間にか同じく部屋に入って来た侍医の言葉にウォルは賞賛と礼を言う。
しかし侍医の返事は無く、ウォルはおやと侍医の顔を見る。
その顔にはどこか困惑が見て取れた。

「…助けたのは私ではありません。私が見たときには既に傷は塞がりかけていましたから。」
「は?」
「それみろ、ウォル、やっぱりこいつは怪しい!」
「そうです、もしかしたら怪我人を装って取り込もうって腹かもしれませんよ!」
「あー、もう、二人共少し黙っていてくれ。」
「従兄上!?」
「ウォル!?」

彼らの非難がましい声は無視してウォルは侍医に向き直った。

「どういうことだ?私が見つけたときは確かに大量出血していたぞ」
「ですが私が先程言ったことは本当です。…証拠はありませんが。」

自分以外にそれを確認したものはいないのだから当然、証拠といわれても他の誰かに証言してもらうことも出来ない。

「いやいや、あなたを疑うつもりは無い。こうなると私とあなたとどっちの証言も正しいと仮定されるわけだが、はて、この二つを整合させる仮定はあるのかな?」
「…失礼ながら申し上げます」
「ああ、構わん。」
「つまりは、短時間で傷が治ったのではないかと。」
「…死ぬような怪我が?」
「はい」
「私が彼を引き渡して、あなたが治療を施すまでの間に?」
「…それ以外に考えられないとすればそれがどんなに信じられなくともそれが正答かと存じます。」
「ふむ、そうだな。その通りだ。」
「…って、馬鹿かー!!」
「そんな事あるわけないでしょうが!」

ウォルは喧しい声に耳を塞ぐ。
そう言い出すことは目に見えていたが、どうして彼らはその標的を自分に限定するのか。

「…少なくとも彼が怪我人なのは確かです。これ以上騒ぐなら出て行ってください!」

先程から医者としての意識をはっきりと見せていた侍医が低い声でバルロとイヴンを睨む。
流石の二人も医者のおかしな迫力に黙った。
周りからは侍医の根性に敬意を評して音のない空拍手が巻き起こっている。

ウォルは片眉を下げて、ここは侍医の言う通りに下がった方が良さそうだと皆に声をかける。
バルロやイヴンは別にしても他の者は少年の姿を見て、幾分か安心したようだ。

何も暗殺や罠の心配をしていたのは二人だけではない。
少年だからと言っても完全に疑いが晴れたわけではない。
しかしそれでも心情的には大人と少年では大きな違いがある。
とりあえず、一流の戦士でもある王がこんな少年に遅れを取る事はないだろうという安心感は得ることが出来た。

ウォルが皆に退出を促して、自身も部屋から出ようとする。
そうしたのは偶然だ。
少年の腕が毛布から出ているのが寒そうだと、少年の手を取って毛布の中に入れてやろうとした。

その指が固く握られているのがいまだに強張った体と昨晩の惨状の欠片を示す。
ウォルはその握りこまれた手をそっと開いてやろうとした。
これでは手の平を傷付けかねない。

だが、それは頑なに開こうとはしなかった。

「ああ、私もどうにか楽にさせてやろうとしたのですが…」

侍医がウォルの行動に気付いてそう言った。
その時にはウォルは彼が何かを握っているのだと気付いていた。

まるで守るように、決して失くさない放さないと、主張しているような、少年とは思えない力だ。
そんな大事なものを取り上げるのは本意ではない。
それを持っていることで彼が少しでも安心できるのだあればそのままにしておこうと思う。

しかし一体何を握っているのか気になった。
ウォルは好奇心で彼の手の中を覗き込む。

「……」
「ウォル?」

彼の退出を待っていたイヴンが突然動かなくなった王を訝しげに呼んだ。
それでもウォルは動かない。

「一体どうしたって言うんだ?」

扉の前にいたイヴンがウォルに近寄ってみればウォルの顔には驚愕が張り付いている。
それは長い付き合いのイヴンでも滅多のことではお目にかかったことのない動揺。
泰然自若、器が大きいというか万事に対して大らかな男にして、最大限の驚きを表現しているのだと幼馴染にはわかった。
一体何が彼をそんなに驚かせたのかとイヴンは彼の手の中を覗き込む。

「おい、独騎長?」

同じく動かなくなったイヴンにさすがにこれはおかしいとバルロが呼んだ。
イヴンは機械仕掛けの人形のようにぎこちない動きでバルロたちを振り返る。

ウォルが驚愕ならこちらは困惑だ。
それも、ウォルと同じく人生で最大の戸惑いと言ってもいい。

眉根を寄せたバルロがイヴン同様につかつかと部屋の中に戻り、いまだに動かないウォルの手の中にある、少年の握りこまれた拳を覗き込んだ。
一体何事かと、同じく部屋に戻った彼らの耳にバルロの声ははっきりと届いた。

「…王妃…?」
「「「は?」」」

聞こえたがその意味が飲み込めず、誰もが困惑する。
この国で王妃は一人しかいない。
その王妃が姿を消して既に5年の歳月が経っていた。
だがこの王が彼女の他に王妃を向かえることは生涯ない。
姿が無くともそれは今も変わらない事実だ。

彼の、正体不明の少年の手から覗くのは確かに見覚えのある指輪。
空に帰ったはずのただ一人の王妃が身につけていたあの指輪だ。

その事実を知ったとき、医務室を包んだのは奇妙な静寂と張り詰めた緊張感。

ウォルの手の中、少年の指がぴくりと動いた。
ウォルははっとして少年の顔を覗き込む。

少年が微かに震え、ゆっくりと目を開けるところだった。





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